熊谷 徹 @ToruKumagai 東京へ行くたびに日本社会の幼稚さに驚く。テレビに溢れる「ゆるキャラ」。バスのスクリーンには「パンツ大明神」のアニメが流れる。バスの車体にも動物のアニメ。イスラエルの教授が「日本は良い国だと思いましたが幼稚なキャラクターの氾濫にはうんざりしました」と語っていた。恥ずかしかった。 pic.twitter.com/mQcTypP63g 2018-06-14 03:46:52
【文春砲】 ジャーナリストが改名してユニクロで1年バイト→ブラックさを暴く 125 名前: ダイビングフットスタンプ(庭)@\(^o^)/ [US]:2016/11/30(水) 18:36:38.71 ID:GT799Ev00.net 「ユニクロ帝国の光と影」の著者でジャーナリストの横田増生氏が、昨年10月から現在まで、1年にわたってユニクロに潜入取材を行った。 横田氏は、2011年に「ユニクロ帝国の光と影」を出版した。ユニクロは店長や委託工場での長時間労働の記述が名誉毀損に当たるとして、版元の文藝春秋に2億2000万円の損害賠償を求めて提訴した。しかし、東京地裁、東京高裁、最高裁でユニクロは敗訴。 判決確定後、横田氏は決算会見への参加を希望したが、ユニクロは横田氏の書いた別の記事を理由に取材を拒否。また、ユニクロを運営するファーストリテイリングの柳井正社長は、ブラック企業批判について、雑
竹田圭吾さん(たけだ・けいご=ジャーナリスト、コメンテーター)が10日、膵臓(すいぞう)がんで死去、51歳。葬儀の日取りは未定。 01~10年、ニューズウィーク日本版編集長。フジテレビ系の情報番組「とくダネ!」や「Mr.サンデー」でコメンテーターを務め、昨秋に番組中でがんであることを公表、その後も出演を続けていた。今月4日に放送されたFMラジオ局J―WAVEの「JAM THE WORLD」にも出演した。 10日夜に放送された「Mr.サンデー」では、番組終盤に竹田さんの訃報を伝えた。司会の宮根誠司さんは「生きざまを見せてもらいましたよね。僕より一つ年下なんですけど、『今年のサンデーを、もうひと暴れしますんでお願いしますね』って言ったら、『やりましょう』って。こうやって生きていって、こうやって旅立っていくんだな、というのを体現した人ですよね。ご冥福をお祈りいたします」とコメントした。
フジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」「とくダネ!」などにコメンテーターとして出演していたジャーナリストの竹田圭吾さんが10日午後2時ごろ、膵臓がんのため都内の病院で死去した。51歳だった。竹田さんは昨年9月にがんを番組内で告白した後、やせ細った姿で出演を続け、鋭い舌鋒で時事問題を斬り、最後までジャーナリストとして使命を貫いた。 竹田さんは2013年11月、病気療養を理由にすべての出演番組を一時降板。翌14年2月には早期復帰を果たすが、変わり果てた外見に、インターネットなどでは心配の声が相次いで寄せられた。 今年9月の「Mr.サンデー」出演中に、がんを突然告白。抗がん剤治療の副作用で頭髪が抜けるため、かつらを着用して出演していることも明かした。直後のツイッターでは「がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と検診の段階から思い浮かべていくのが大事ではないかと、自分の体験からは思
国際的なジャーナリスト組織である「国境なき記者団」が2月に発表した2015年版の世界報道自由度ランキングで日本が61位に後退した(http://index.rsf.org/#!/)。日本の報道自由度はいまや先進国で最低水準という。これをどうみるか。 「おい、おい大丈夫か」日本のジャーナリストは 国境なき記者団は1985年にパリで設立されたNGOだ。言論や報道の自由を守るために、世界のジャーナリストを支援している。活動の一環として02年からメディアの独立性や政府の規制などを数値化して、各国の報道自由度ランキングを作って公開している。 日本は当初、26位からスタートした。民主党政権時代の2010年に11位まで順位を上げたが、その後は年々、下げた。東日本大震災と福島原発事故があった後の2012年、一連の情報隠しが批判された影響もあって、一挙に53位まで順位を落とした。それ以降、韓国よりも下位に甘
【東京に大雪警報】高速道路「予防的通行止め」で各地“大渋滞” 帰れないと一泊する人も サルは寒さに体を丸め…都心でも大粒の雪 2月5日午後2時過ぎ、東京都心に大粒の雪が降った。浅草の雷門前では観光客らが写真を撮る姿もあり、台湾から来た観光客は、初めての雪に「初めてです。わくわく」と笑顔を見せた。東京駅の赤レンガ駅舎や丸の内のオフィス…
最近はそこそこ若い人も順次辞めていっているらしく、取材依頼とか受けると昔みたいに「電話の声は張りがあるけど本人はお爺ちゃん」ということが減った。 ただ、やっぱり大きい組織から外れたことは戸惑いの対象であることは昔も今も変わらないらしい。 1.名刺を出すとき、必ず「何の肩書きもありませんが」など、肩書きについて前置きする 数年前は新聞社で何とか局長とか何とか委員とかだったのが、いまは単に「ジャーナリスト」とかだけ刷っているのが寂しいと思うのか、聞いてる側からすると違和感が。それが誇りの一部だったのは、男として認めるけれども。 稀に、初対面なのにいきなり雑談から入って己の武勇伝を語り始める人がいるが、だいたい後で調べると政治部だった人。 2.取材なのに「私の経験では」と自分から語りだす たまに、「いや、そこはお前が話すべきタイミングじゃないだろう」と感じる喋り方をするとだいたい地方紙も含めた新
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