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熊本と土木に関するmk16のブックマーク (2)

  • 鼻ぐり井手(熊本県):九州農政局

    加藤清正が肥後を治めるにあたって、新田開発を目的に「馬場楠井手」を慶長13年(西暦1608年)に造った。 この「馬場楠井手」建設にあたっては、どうしてもこの菊陽町曲手~辛川地内の堅い岩盤を底深く掘る必要があった。しかし、水を流すと白川や井手の周辺から流れ込む阿蘇山の火山灰が底にたまるため、底深い井手周辺からたまった土砂を排出するのに大変な労力が必要となる。そこで水の力を利用して土砂を下流に送り出す仕組みが考え出された。まず、堅い岩盤を掘り込む際にいくつかの仕切り壁を残しておき、その壁の下に穴を左右交互にくり抜き、水が渦を巻きながら流れるようにする。この水の動きによって上流から流れてくる火山灰は舞い上がり、底にたまることなく下流に流れるようになるのである。この独創的な工法は、壁に開けられた穴が牛の鼻輪に形状が似ているため、「鼻ぐり井手」と呼ばれる。

  • 「俵山トンネル崩落」、12km歩いて見た現場

    マグニチュード(M)7.3を記録した熊地震の震から1週間がたった4月23日、筆者は日経コンストラクションの取材班第2陣として、熊県西原村にいた。構造物被害の全貌が次第に明らかになるなか、一つだけ一般の報道では確認できない被害情報があった。俵山トンネルの「崩落」だ。 震後、阿蘇大橋の崩落と同じく、俵山トンネルの被害も何度か耳にしたが、現場の状況を映像や写真で見る機会はなかった。崩落と一口に言っても、被害状況は様々だ。覆工コンクリートの表面がはく落したのか、トンネルが圧壊したのか、現地入り当初は詳細が全く分からなかった。 自分の目で被害状況を確かめるために、23日は早朝から俵山トンネルのある県道28号へ向かった。トンネルのかなり手前で車は通行止めということは、事前の情報で明らかになっていた。 県道28号の車両通行止め付近に到着してからスマートフォンで調べると、俵山トンネルまでは6km以

    「俵山トンネル崩落」、12km歩いて見た現場
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