厳密には高速中性子炉という表記になっているとか、BN-600も増殖比がほぼ1だったはとかそういう突っ込みは無しで
昨年 8 月に炉内中継装置の落下事故が発生して原子炉容器から抜けなくなり、11 月には「再稼働も閉炉も復旧も不可能」とまで言われていた高速増殖炉「もんじゅ」だが (/.J 記事) 、復旧に 17 億を要すると日本原子力研究開発機構が先週発表した (asahi.com の記事) 。 17 億の内訳は状態観察: 3 億 7 千万、引き抜き・復旧作業: 9 億 4 千万、炉内中継装置の製作: 4 億 4 千万。ちなみに競合他社がいないのであろうが、これらの費用はほぼ随意契約である。また、この発表が行われる数日前に、装置を現場で担当する燃料環境課長が自殺していたことが分かった (Yahoo! ニュースの記事) 。日本原子力研究開発機構の関係者は「自殺の理由はよく分からない」との言。さぞかし辛い日々を過ごされたであろう。心からお悔やみ申し上げます。
歴史[編集] ここでは公式の表記との比較のため、元号も併記している。 1967年(昭和42年)10月2日:動力炉・核燃料開発事業団(動燃)設立 1968年(昭和43年)9月26日:高速増殖炉の実験炉「常陽」の次の段階として、原型炉の予備設計開始 1970年(昭和45年)4月:建設候補地に、福井県敦賀市白木を選定。立地自治体の敦賀市の了承、福井県の内諾。地質等調査開始 1975年(昭和50年)9月17日:原子力委員会によるチェックアンドレビュー開始 1976年(昭和51年)2月20日:福井県および敦賀市と安全協定を締結 1978年(昭和53年):環境審査開始 1980年(昭和55年) 安全審査開始 4月1日:原子炉産業4社(東芝、日立製作所、富士電機システムズ、三菱重工業)が出資して高速炉エンジニアリングを資本金3億円で設立 1983年(昭和58年)1月25日:建設準備工事着手 1985年(
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