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Religionと考え方に関するmk16のブックマーク (2)

  • 精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら

    昨日「宗教上の理由で」という表現がTLで(ネタとして)Buzzっていて、それに関連してちょっと昔のことを思い出していた。あんまし嬉しい記憶ではないし、読む人によっては不快感を感じるだろうし、なにより今日はとりわけ戯言なので、ヒマな人だけ読んでくれたらいいと思って垂れ流す。 ◆ 今となっては僕の宗教は讃岐うどん原理主義ぐらいのものだけど、物心ついたころ、我が家は"エホバ"だった。 「エホバの証人 - Jehovah's Witnesses」は世界に広く信者を擁するキリスト教系の新興宗教というかカルトで、駅前で冊子を配っていたり、勧誘がうっとうしかったり、輸血拒否で社会問題になったりしたアレだ。説明適当。 そう長く信仰していたわけではなく中学に上がる頃にはほとんど痕跡もなかった*1のだけど、宗教と聞くと最初に連想するのが、最も厳格だった小学生の頃の記憶だ。ごく普通の公立小学校に通っていた僕に初

    精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら
  • 神の子どもたち - 空中キャンプ

    渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが

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