遺伝子組み換え食品の是非については議論が分かれるところであるが、仮にもメディアを名乗る組織が明確なソースも提示せずに一方的な断定表現で遺伝子組み換え食品を糾弾することは間違いであると私は考える。

以前より注目を集めていた町山智浩氏と上杉隆氏の公開討論「ニコ生×BLOGOS番外編「3.14頂上決戦 上杉隆 VS 町山智浩 徹底討論」 - ニコニコ生放送」がとても面白かった。上杉隆氏については今までTwitterでの断片的な発言や彼の周辺をめぐる言説を見て、単純に不誠実な人だなという印象しかなかったのだが、生で彼の弁論術を見て、なるほどこれは一種の才能であると敬服せざるを得なかった。なかなか貴重な体験だったので、せっかくだから彼の弁論術について私が感じいった部分を少し要約してみたいと思う。 1を聞かれたら10答える 彼の弁論術を支える基本は、その言葉数の多さである。ごくごくシンプルな質問であっても、一見無関係なディテールから描き出し、質問の核心に触れることを巧妙に避けつつ、全体としてみればその質問に対する回答として推論可能な形に落としこむ手口は鮮やかの一言。 この戦術の効果は非常に大き
今、Twitterやmixiで日常のこと書くと非国民扱いされることについて Tweet 66 1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(dion軍)[sage] 2011/03/13(日) 01:14:28.54 ID:uNR/llHP0 地震で被災地は大変なのに、日常のこと書くと非常識といわれる。 ネット上で不特定多数の人が見るからだめなの? ていうか、被災地は大変なのにそんなネットしてる場合じゃないだろともつっこみたくなるが 情報収集には必要なのかな。 本当に普段書いてることをまぁちょっとは自重して 書いてるだけでも非常識扱いってそういうものなの? 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(チベット自治区) 2011/03/13(日) 01:15:06.63 ID:uTjHJXU40 タイムラインは自分の鏡 俺のタイムラインではそんなアホなこと言ってるやつ一人もいな
最近のTwitter人気は衰えを知らず、今日も多くのTLで議論が交わされている。しかし、多くの人が感じているように、Twitterはあまり議論に適したサービスではない。むしろ、議論を積み重ねるという観点から見れば、便所の落書きとも揶揄される2ちゃんねるの方が適している部分も多い。本エントリでは、2ちゃんねるとTwitterのアーキテクチャの違いに着目し、その違いが有用な議論を行なう上でどのような効果をもたらすのかについて考えてみたい。 濱野氏は著書『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』において、ローレンス・レッシグの提唱した概念『アーキテクチャ』に依拠した上で、ソーシャルウェアを場とみなす立場をとっている。 ここで、アーキテクチャは次のような概念だ。 任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため、ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない。
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