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essayとlifeに関するmk16のブックマーク (2)

  • まず隗より始めよ - 内田樹の研究室

    授業の合間に取材が二つ。 ひとつは三菱系のシンクタンクから「10 年後の日はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。 両方で同じような話をする。 同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10 年後の日が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。 何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。 今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。 革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。 もし、その政治党派

  • あつじ屋日記 「被害者」になること≠「被害者」であり続けること

    昔から思うことで 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます) 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依

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