<「リスペクト」「ベネフィット」「リスク」......。対訳があるにもかかわらず外来語が氾濫しているのは、何らかのコンプレックスが潜んでいるから> 明治初頭(1870年代)、日本語は貧弱で不確実だからとの理由で初代文部大臣・森有礼は「英語公用語化論」を主張した。 終戦の翌年1946年には、いっそ世界で「一番美しい言語」であるフランス語に取り替えてはどうかと、「小説の神様」こと志賀直哉が言っている(ただし、志賀自身はフランス語ができなかった)。 森や志賀の主張はともかく、日本語に外来語(カタカナ語)が非常に多いのは確かである。わたしたちは母語を外国語と取り換えることが平気どころか、好んでそうしているのだ。 たとえば、「尊重」や「尊敬」というれっきとした日本語があるにもかかわらず、「リスペクト」という言葉を最近よく目にする。また、先日薬局で渡された説明書には、「薬には効果(ベネフィット)があり