アルコール依存症が疑われる被災者の仮設住宅を訪問する「震災こころのケア・ネットワークみやぎ」のスタッフら=15日、石巻市内 東日本大震災の被災地で、アルコール依存症となる被災者の増加が懸念されている。家や仕事を失い、先行きへの不安や不眠症状などを解消しようと飲酒に走るケースが目立つ。1995年の阪神大震災でも、アルコールの問題は孤独死につながる重要な要素と指摘された。深刻な事態に陥るのを未然に防ごうと、医療関係者らが対策に乗り出している。(成田浩二) ◎専門家、孤独死を懸念 「災害とアディクション(依存症)」をテーマに、仙台市内で5、6日に開かれた「東北アルコール関連問題研究会」。東北各地の医療関係者ら約140人が集まった会場は重い空気に包まれた。 「酒浸りの男性が仮設住宅に引きこもっている」「妻子へのドメスティックバイオレンス(DV)の問題が起きた」「現場スタッフだけでは対応しきれな
福島第1原発事故で福島県浪江町の住民が集団避難した同町津島地区は、高濃度の放射性物質が降り注いだ地域だった。だが、放射性物質が大量に漏れた情報は国や東京電力からもたらされず、住民は自分の身に危機が迫っていることを知らずに事故後の4日間を過ごした。(勅使河原奨治) ◎「国や東電から情報なし」沢水で米を炊く <発令> 3月11日午後2時46分。浪江町の馬場保町長は町長室で激しい揺れに遭った。災害対策本部を設け、防災無線で町民に津波からの避難を促した。 浪江町は横に長い。東は太平洋に面し、西は海岸線から30キロ以上内陸に食い込んでいる。第1原発の立地する双葉、大熊町は南に位置し、浪江町の東半分は原発事故後に警戒区域に指定された。 11日は沿岸部の町民らが続々と役場に避難してきて、役場は炊き出しや毛布の準備に追われた。 深夜、町長は作業が一段落し、テレビのニュースに目を向けた。第1原発が原
気仙沼、雇用どん底 水産業壊滅で求人倍率県内最悪 津波で建物が流された工場地帯。失業者が増え、雇用不安が広がる=21日、宮城県気仙沼市錦町 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市で、多くの住民が職を失い、先の見えない生活を送っている。雇用の7割を支えるといわれた水産業が津波で壊滅し、離職者が激増したことが響いた。5月の有効求人倍率は県内最悪の0.17倍。雇用不安が広がる港町で、苦境にあえぐ人々の声を拾った。 (神田一道) 「まるでホームレス。職がないのは本当にみじめだ」 気仙沼市の気仙沼公共職業安定所。7月下旬、10人ほどが順番待ちをするロビーの一角で、相談に訪れた同市の男性(45)は苦しい身の上を明かした。 元水産加工会社の営業マン。約20年間勤めた会社は津波で全壊し、男性を含む社員約100人はあっけなく解雇された。 父母と妻、子どもの6人の生活を支えるのは月十数万円の失
地震・津波の被害実態、避難生活、人間模様、復興へのつち音、防災への歩み… 記者が現場を歩き、河北新報の朝刊、夕刊に掲載した記事、写真からえりすぐったコンテンツを全国に向けて発信します。 4年間の蓄積を持つ河北新報社運営の地域SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「ふらっと」に投稿されたブログ、トピックスから、新聞記者が拾いきれない情報、市民目線の足元情報を届けます。 河北春秋、河北抄、社説―。河北新報で届けるコラム類も読めます。
生産者に中傷追い打ち 福島・浅川産汚染牛出荷の男性 肉牛に放射性セシウムが含まれた稲わらが与えられていた問題は、福島県内で拡大を続け、畜産農家を苦境に陥れた。仙台市や東京都の市場に42頭を出荷していた浅川町の農家の男性(54)は、自ら稲わらなどの検査を申し出たにもかかわらず、心ない中傷に苦しんでいる。 男性が出荷した肉牛に不安を抱いたきっかけは、今月9日に南相馬市の農家が出荷した肉牛から放射性セシウムが検出されたことだった。翌10日、原因はセシウムに汚染された稲わらだったと判明した。 黙って推移を見守ることも可能だったが、男性は「そんなことは絶対にできないと思った」と言う。自主的に県に検査を申し出て、餌用の稲わらと飼っている牛の検査を受け、生産者としての責任を果たした。 県が、男性の牛舎の稲わらからセシウムが検出されたと発表した翌日の15日から、インターネット上に男性や県内の畜産農家
復興への歩み後世に メディアテークが3・11記録拠点 震災復興に向けた市民活動の情報発信と記録蓄積の拠点となる「3がつ11にちをわすれないためにセンター」 東日本大震災の復興に向けた市民の歩みを記録し、後世に伝えようと、せんだいメディアテーク(仙台市青葉区)は、メディア編集とインターネット放送局の機能を備えた「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を開設した。 市民活動に携わる個人・団体が、被災者やボランティアら市民の取り組みなどを取材。専門家との協働で復興の道のりを記録した作品を制作し、「震災復興アーカイブ」として保存蓄積する。 映像や写真、音声、文書などで収録した素材を編集し、ドキュメンタリーや情報番組に仕上げることを想定している。作品は、6月上旬に開設するホームページ(HP)で順次発信する。 館内2階にあるセンターは、主に編集作業や打ち合わせを行う約20人収容のスタジオ、ネ
最後まで避難呼び掛け 不明の女性職員か遺体発見 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の職員で、最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛け、行方不明になっていた遠藤未希さん(24)とみられる遺体が志津川湾で見つかった。 父清喜さん(56)や母美恵子さん(53)らによると、遺体は4月23日、志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点で捜索隊が発見した。 両親や昨年7月に結婚した夫(24)が遺体を写真で確認し、左足首に巻かれているオレンジ色のミサンガや、右肩付近のあざなどの特徴が遠藤さんと一致したという。ミサンガは夫からのプレゼントだった。 家族は死亡診断書が届き、遺体が遠藤さん本人と確定し次第、遺体を火葬し、葬儀を営む予定。 遠藤さんの実家も津波で被害を受けた。両親は避難所で暮らしながら、手掛かりを求めてがれきの街を捜し回り、遺体安置所の町総合体育館に通い続けた。 美恵
雪の夜 たき火が命を救ってくれた 命の恩人捜しています 「命の恩人にお礼を言い、再出発の決意を伝えたい」と語る加藤さん=宮城県南三陸町の志津川ベイサイドアリーナ前 宮城県南三陸町で津波にのみ込まれ、九死に一生を得た気仙沼市幸町の会社社長加藤欣司さん(70)が、凍える自分のためにたき火を用意してくれた家族を捜している。3月11日、雪。あの夜、津波にぬれ、低体温症で大勢の命が失われた。「たき火がなければ間違いなく凍死していた」。自宅も会社も流され、再起を目指す加藤さんは「命の恩人に感謝の気持ちと再出発の決意を伝えたい」と言う。 小型船舶用エンジンの販売・修理を手掛ける加藤さんの会社「カトーディーゼル」は、南三陸町の志津川湾に面していた。大津波警報の発令を聞いた加藤さんは、車に重要書類を詰め込み、女性事務員(62)と2人で国道45号を北上した。 目指したのは、会社から約1.2キロ離れた同町志
家族8人、私だけ生き残った。 がれきの自宅、思い出探し 自宅のがれきの中から家族旅行の写真を見つけた美咲さん。「両親が忙しい中、連れて行ってくれた」=2日、気仙沼市波路上杉ノ下 東日本大震災で宮城県気仙沼市波路上杉ノ下の本吉響高3年三浦美咲さん(17)は両親と2人の妹ら7人の家族を失った。一家で残ったのは自分だけ。海岸に近い自宅は津波に流された。市内の親戚宅で生活しながら、思い出の物を探しにがれきと化した家に通う。悲しみの底から3週間余り。「前を向こう」と自分に言い聞かせている。 両親は芳弘さん(43)と美江子さん(41)で、妹は階上中3年美穂さん(15)と幼稚園に通っていた美輝ちゃん(6)。祖父(74)と祖母(72)、曽祖母(93)も一緒に暮らしていた。 3月11日の地震の時、美咲さんは市内のショッピングセンターにいて津波の被害を受けなかった。父ら5人は在宅していた可能性が高い。美輝
村覆う見えない恐怖 放射能に揺れる福島・飯舘 水道水を不安そうに眺める安斎さん。数値ばかりが注目される現状に戸惑う=28日、福島県飯舘村 東京電力福島第1原発事故の影響で、水道水や土壌から高い濃度の放射性物質が検出された福島県飯舘村。人口約6100、農業や畜産業で暮らす小さな村は突然、原発事故と放射能漏れの渦中に巻き込まれた。村に残る人たちは、見えない恐怖に神経をすり減らす日々を強いられている。 ▼テレビ音なし 「マスコミは『(放射性物質は)ただちに健康に影響はない』というが、将来はどうなのか。ここに住む人の視点に立った情報が知りたい」 生後10カ月の長女らと村で暮らす佐々木美絵さん(26)は訴える。 家族の事情で村外へ避難できない。「社会的に弱い人ほど情報も手に入らない。取り残されるのでは、という不安がある」と佐々木さん。 情報を入手するために、震災や原発事故を報じるテレビを見ず
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