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ブックマーク / note.com/masayachiba (4)

  • 無人の時代、人類史を考える|千葉雅也

    2023年はAI元年として記憶されるだろう、と僕は何度かエッセイなどで書いた。ChatGPTが世を騒がし始めたのは、2023年の3月である。春に、まさしく春らしく、物事が変わり始めたというのは、コロナ禍のスタートを思い起こさせる。それは2020年の2月のことだった。緊急事態宣言が出されたのは4月に入ってすぐ。前年に元号が令和となって、その新たな時代区分が格始動するとでも言えるだろう新年度は、街から人がいなくなる年だった。 コロナによって世の中が変わるときに何が動いたかと言えば、テクノロジーだった。と、ここではその角度から振り返ってみたい。ソーシャルディスタンスというかけ声によって、対面接触なしのサービスの提供が追求され、テレコミュニケーションが以前の制約を振り切って、一線を越えて(技術的には以前でもできないことはなかったが)さらに追求された。絞って言うなら、コロナ以前以後とは、オンライン

    無人の時代、人類史を考える|千葉雅也
  • 芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也

    (無料記事です。連続ツイートを元にして書きました。) 芸術作品とは何か。作品に向き合う方法とは。ここでは、作品を見たり読んだりして、まず「ふわっと」感じること、それが大事で、それをいくらか言葉で膨らませる、ということについて説明したいと思います。 それは、作品の「謎解き」ではありません。しばしば、謎解き的に作品を読みたがる傾向があり、それはそれなのだけれども、僕が思うに、芸術鑑賞の「体」はそうではない。むしろ、「ふわっと」が大事。これはまあ、ものの言い方で、実は、「ふわっと」感じたことには「深いもの」が秘められている、という話になります。 芸術を「深く」鑑賞するためにこそ、むしろ「ふわっと」から始めたほうがいい、というのが僕の考えなのです。 芸術作品に対して、「何が言いたい」のかわからない、というのをよく見かけます。どうも人は、作品に「メッセージ」のようなものを期待しているようです。そし

    芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也
  • 移動すること、意味もなく(信濃毎日新聞連載4)|千葉雅也

    信濃毎日新聞での連載「思索のノート」の第4回です。2020年6月の文章。大学の授業も会議もオンラインになり、移動が極端に減った日々について。その後、年度後半は対面授業が再開されましたが、一年後の今、緊急事態宣言によって大学はまたオンラインで、ずっと自宅周辺にいる生活。移動することの必要性を、一年経った今でも同じく切実に感じています。 * 新しい日常、なのだろうか。いつもの喫茶店はテーブルをひとつおきに使うようにして密集を避けている。自宅での執筆にも慣れたが、結局また午前中は喫茶店に通う生活に戻った。大阪はひじょうに低い感染者数が続いているので、マスク姿も見慣れてしまうと、いつしか何事も起こっていないみたいな気がしている。錯覚なのだが。

    移動すること、意味もなく(信濃毎日新聞連載4)|千葉雅也
  • セクシュアリティの消滅|千葉雅也

    人間は否定性をいわば「地層」のように織り込んで成長していく、ということの拒否に世の中が向かっている。子供にNOを言う力を教えるのはもちろん大事だが、この記事に示されているような「善意」は度が過ぎていると思う。 否定性に耐え、みずからの内奥に否定性を抱きかかえて生きるのをやめるなら、我々は「従来の意味での人間」ではなくなっていくだろう。すでにそうなり始めているのかもしれない。 最近、「自由な合意」ばかりが強調される。近代的主体の合理的判断、である。それに疑問を向けることは一見難しい。だが、人間の共同性はそれだけでは成り立たない。相互行為のあらゆる部分に合意を取りつけることはできない。人生には「流れでそうなってしまったことに耐える」面がつねにある。合意というのは、その基準点=主体が安全であることを意味している。つまり、主体が揺さぶられ、変質することの拒否である。その拒否こそがまさしく近代性、モ

    セクシュアリティの消滅|千葉雅也
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2020/09/26
    “ある言語表現が何かを「暗に示している」というのはつねに、何か性的な不快と快の混成態が潜在しているということと結びついている。言語の動物化、信号化。今日の「わかりやすさ」とはそれだ。”
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