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ブックマーク / www.culture.city.taito.lg.jp (2)

  • 隅田川花火大会

    柳橋で船宿を営まれる舟宿小松屋の佐藤純子さんに、隅田川の花火大会の歴史について、お話しを伺いました。平成29年(2017)10月に取材しました。 隅田川花火大会の由来について Q : 隅田川での花火の始まりについて伺えますか。 佐藤 : 享保17年(1732年)、飢饉と疫痢の流行による死者の慰霊と悪疫退散のために、八代将軍徳川吉宗が両国で花火を打ち上げたことが、両国川開き花火の始まりと言われています。元々、隅田川の川開きの日に水神祭が行われていて、それに併せていたようです。これは施餓鬼と言う催しと思われます。将軍吉宗が催した両国川開き花火以前から、江戸市中で花火が盛んになり、火災も多く発生したため禁止され、隅田川下流の右岸のみに制限されました。 Q : 両国の川開きが発祥だとの話ですが、浅草寺や浅草神社にも縁があるのでしょうか。 浅草寺、浅草神社との繋がりは、あまり無いのではと思われます。

    隅田川花火大会
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2020/05/30
  • 隅田川花火大会

    元禄11年(1698)に、神田川が隅田川に注ぐ地に掛けられた橋は、当初は「川口出口之橋」と呼ばれていましたが、享保年間頃には柳原堤の末にあったため、いつしか柳橋と呼ばれました。江戸時代から橋畔には船宿が建ち並び、賑わっていました。幕末・明治以降は、柳橋(現台東区柳橋)界隈は花柳界として知られ、多くの文人・墨客の題材ともなっています。小林清親の「元柳橋両国遠景」、正岡子規の句集「寒山落木」、そして島崎藤村は現在の柳橋一丁目に住み、随筆「新片町にて」や小説「沈黙」に大正期の柳橋界隈を書いています。また池波正太郎の「剣客商売」等に取り上げられて、今も江戸時代の趣を探して多くの人が訪ねています。柳橋は、明治20年(1887)に鉄橋に架け替えられましたが、昭和4年(1929)に現在の独特の姿の橋になりました。

    隅田川花火大会
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2020/05/25
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