ウェブにおける私的事件の垂れ流しに批判的な意見を聞くが、これは社会的少数者には当てはまらないのではないかと思う。 ウェブ日記の類で一個人が私的事件について語ることに否定的な意見がある。「お前がどこへ行ったとか、何を食べたとか、だれも興味ないよ」と。その類のページは内輪の数人が入り浸るのが精々で、それ以外の大多数にとって何の情報価値も無く、リソースの無駄遣いである、と。 自己紹介と掲示板しかない個人サイトが増えだしたころからよく言われた意見であるし、当たっている部分もあるだろう。個別の私的事件記事自体が現時点で公的価値を持つことは、確かに少ないかもしれない。まぁ、それらの総体、統計的情報は千年後の歴史学者に有益な情報をもたらすかもしれないけれど。 しかし、このことはセクシュアルマイノリティや、何らかの社会的少数者については当てはまらないと考える。なぜならば現時的では圧倒的にロールモデルが不足