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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (5)

  • PCエンジンminiのお手伝いしてました | Colorful Pieces of Game

    30年前あったPCエンジンという8ビットゲームマシンは、僕にとってとても思い出深いハードだ。 なんせこのハードでゲームを作るプロ側に立てるようになったのだから、そりゃあ思い出も深い。 そのPCエンジンがレトロゲームマシンの復刻ブームでミニとして出るという話になり、なんとそれのお手伝いをさせてもらえることになり、スタッフロールに名前が出ることになってしまった。 30年やっていると、こんなボーナスが出ることもあるんだなと思った。 ではなんのお手伝いをしてたのか? あまり具体的な個々の内容に触れないように書くと、30年前のソフトとハードの中身の説明ということになる。特に多かったのは圧縮・メモリの質問とビデオ周りの質問。 実は圧縮は難しくなくて、当時の圧縮はグラフィック側はLZSSを使って、コレはこんな数字を設定してますよって話を伝えたりすれば「なるほど!」でだいたい終わった。 奥村先生が当時のソ

    mojimojikun
    mojimojikun 2019/09/26
    こういう昔話大好きーヾ(*´∀`*)ノ
  • イースからエメドラまで使ったmakeの話(2)::Colorful Pieces of Game

    前の記事リンク。 ■ その1 前の記事の反応を見て、当時のmakeは「UNIXのSVR4またはBSDに載っていたmakeを、当時の環境ではフルセットでは実装できず見よう見まねで、サブセットとして実装されていた、俺が村makeだった」ということが理解されていないことがわかったので、今回はそのあたりから話を始めたい。 どうしてサブセットだったのか? 第一にマシン性能が全然足りなかったからだ。 当時のUNIXが走るマシンは実際に使うときのプロセスの制限はともかくとして、CPUが32ビットになり、仮想記憶を持って、メモリ保護があり、プログラムで使える空間が普通に1メガバイトぐらいはあるのが普通になりつつあった。 そして、そういったUNIXマシンで動いているツールをわれらがヘッポコMS-DOSで動かすのは至難の業だった。 というのも、まず8086が、大きなメモリを取り扱うのがクソ下手なCPUだった。

    mojimojikun
    mojimojikun 2017/11/03
    昔話。(全然関係ないんだけど URL の最後が e=503 で エラー503 Service Unavailable に見えてしまって)
  • イースからエメドラまで使ったmakeの話(1)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    mojimojikun
    mojimojikun 2017/10/22
    ( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー
  • 山根はどうしてイースⅡのオープニングをアニメにしたのか?::Colorful Pieces of Game

    この前、山下章さん主催の楽しい飲み会があって、そこで山根と会ったのだけど、その時、ずっと聞きたかったことを聞けたので、メモとして残しておきたい。 聞きたかったことは簡単だ。 山根はPC88版の『イースⅡ』のオープニングアニメを作って、間違いなく日ゲーム歴史を変えた男なのだけど「なぜアニメのオープニングを作ろうと思ったのか?」を聞きたかったのだ。 と書いても、なぜこれが疑問になるのかが、今の人にはわからないと思うので、簡単に説明をしておきたい。 80年代後半のPCの世界では、そろそろフロッピーディスクでゲームが供給されるのが当たり前になり、640x200の解像度でタイリングで、それなりにちゃんとした絵が表示できるようになり、頑張れば目パチ口パクで「アニメだ!」とウリに出来るようになっていた。 でも一枚絵がゲームの主役の一端を担うアドベンチャならともかくRPGにオープニングがつくなんて発

    mojimojikun
    mojimojikun 2017/10/06
    PC-88 イースII のオープニングアニメというと、兄貴がバイナリを弄ってVRAMのマスクを剥がしたら黒かった部分にアニメのコマが出てきてVRAM to VRAM copyの方が速いからなんだよと教えて貰ったという記憶がですね。
  • 続・PCエンジン時代の圧縮::Colorful Pieces of Game

    8ビット時代の圧縮の話をブログに書いたところ、いろんな人が「俺も使っていた」とlzssについてゲロっているのを読んで笑ってしまったのだけど、ちょっとここで、つぶやかれていた質問「どうしてファミコン時代には圧縮がほとんど行われていなかったのか?」について書いておきたい。 初期のファミコンではキャラクタの圧縮は全くできなかった。なぜならキャラクタは別のROMとして搭載され、直にPPUがアクセスする形式だったからだ。 コレについて詳しく説明するのは面倒くさいので『ファミコンメガロムの開発とPCエンジンのアセンブラ』という、僕と『ZANAC』とかPCエンジンの『ガンヘッド』とか書いた広野さんの話のまとめでも読んでほしい。 ともかくPPU側がキャラジェネに直接アクセスする形式だったので、初期のファミコンでは圧縮はマップしかできなかったのだけど、これまた厳しい制限があった。 というのも、圧縮されたもの

    続・PCエンジン時代の圧縮::Colorful Pieces of Game
    mojimojikun
    mojimojikun 2017/01/29
    スタック領域が256bytesとかもうどうやってプログラム書いたらいいかわからん
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