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ブックマーク / blog.livedoor.jp/khideaki (34)

  • 数学屋のメガネ:『きみがモテれば、社会は変わる』 3<「エリート」と重なる諸概念> - livedoor Blog(ブログ)

    宮台真司さんは、麻布から東大という典型的なエリートコースを歩んでいるため、宮台さんが「エリート」を語ると、どうしても現行のエリートのイメージが浮かんでしまう。しかし、宮台さんの語るエリートは、そのようなものではなく、僕がずっと慣れ親しんできたもの達と重なるところがある。その自分の経験と関連させてエリートの内容をもう一度詳しく考えてみよう。 僕の尊敬する三浦つとむさんには『指導者の理論』というものがある。三浦さんが語る指導者というのは、何か立派な肩書きがある人間をさすのではなく、指導者としての正しい意識を持っている者を指導者と呼んだ。指導者としての正しい意識というのは、指導される者よりも一歩先を見る視点を持っていることだ。 三浦さんが語る指導者は、人よりもたくさん働くというような実務的な面で立派なわけではない。多くの人が当面の目の前のものしか見ていないときに、その向こうにある、未来を見ること

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    molvisp 2012/05/22
  • 数学屋のメガネ:サルトルはレヴィ・ストロースとの論争に負けたのか? 2 - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2011/08/01
  • 数学屋のメガネ:サルトルはレヴィ・ストロースとの論争に負けたのか? 1 - livedoor Blog(ブログ)

    宮沢ふみ子さんの書き込みをきっかけに、表題のようなことを考えている。僕は哲学が専門ではないので、両者の哲学に対して、どちらが正しいかと言うことの評価は出来ない。しかし、両者の提出した主張の論理構造を分析することは出来るのではないかと思う。その構造を見て、どちらの論理の構築の方が整合性が高いかを評価してみようと思う。そして、より整合性が高い方が「論争」に勝ったと言えるのではないかと考えてみたい。 定説としては、レヴィ・ストロースが勝ってサルトルが負けたと言うことになっているらしい。その判断が正しいのなら、なぜ正しいのかと言うことを論理構造から納得出来るように考えてみたいと思う。あくまでも論理の整合性という観点から、この論争を見たいと思うのだが、膨大な量の文章を読むだけの余裕はないので、目につくものからまずはおおざっぱに両者の主張を考えてみたいと思う。いったいどのような点が論争になったのだろう

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    molvisp 2011/08/01
  • 数学屋のメガネ:産経新聞の驚くほど真っ当な主張 - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2010/12/21
  • 数学屋のメガネ:仮言命題の理解の難しさ - livedoor Blog(ブログ)

    僕は、学生の頃数理論理学に夢中になり、その発展から弁証法論理学への関心も深まって、生涯師と仰ぐほど尊敬している三浦つとむさんにも出会った。 僕が数理論理学に夢中になったのは、数学の理解という点では、これが万能の道具のように思えたからだ。新しい数学の発見には天才的なひらめきが必要だが、すでに発見された数学を理解するだけなら、数理論理学さえあればすべての数学の理解が可能だ、とさえ思っていたものだった。数学はすべて形式論理で解決できる問題を扱うので、すでに証明された事柄は、すべて形式論理で表現できると思っていたからだった。 数学に関しては万能の力を発揮した形式論理学だったが、現実を理解しようとすると躓くことが多かった。それは、現実世界が、数学ほどの抽象度の高さを持っていなかったからだった。そこで、現実の論理的理解のための道具としての弁証法に近づいていくようになったのだが、現実に形式論理が当てはめ

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    molvisp 2010/12/07
  • 数学屋のメガネ:感情的な反応、論理的な反応、ポピュリストの反応…etc - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2010/05/03
  • 数学屋のメガネ:「村木厚子さんの公判」に関する社説 - livedoor Blog(ブログ)

    村木さんの裁判については、江川紹子さんがツイッターで逐次その報告を流していたのが目についたが、注目に値するものだったと思う。とくに、検察側の主張が、物的な証拠に基づくものではなく、強引に自白をさせたことを調書にしたものを頼りにしていたものであることが明らかにされたことが大きいことだと思った。裁判というのは、被疑者が自白したことよりも、物的な証拠の方を重く受け止めるのが当然だと、僕は思っていたのだが日の裁判は全く違うというのが分かったからだ。 なぜ、物的証拠の方を重く見なければならないかと言えば、それは客観性の問題があるからだ。物的証拠には客観性があり、主観的に「そう思う」から有罪だなどという判断ではなく、論理的な結論として犯罪性を証明できるからこそ有罪だ、と判断することが正しいと思うからだ。有効な証拠が自白以外にないのなら、その裁判は有罪の立証は出来ないと考えるのが、論理としては真っ当だ

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    molvisp 2010/03/08
  • 数学屋のメガネ:『検察の正義』(郷原信郎・著、ちくま新書) その1 - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2010/02/21
  • 数学屋のメガネ:小沢氏に関する政治資金規正法関連の逮捕報道をどう解釈するか - livedoor Blog(ブログ)

    昨日の日記にも書いたが、石川議員が逮捕されたという報道には驚いた。これは「まさかここまであからさまにひどいことはしないだろう」と思っていただけに驚きが大きかった。これでは検察のひどさが、まだそれがよく分かっていない人にも見えてきてしまうだろうと思うと、検察にとっても戦略的にまずいのではないかと思うのに、なぜここまで稚拙で頭の悪いやり方をしたのだろうかと疑問を感じる。これも驚きの一つだ。検察と言えばエリート集団であり、ここまで論理的におかしいことをする動機というのが分からない。 このことを明確に解説している文章は きっこのブログ 「チャンスを棒に振る自民党」 というものではないかと思った。ここに書かれていることはほとんどすべて同意できるものであり、非常に説得力があると感じた。 ここでは「東京地検特捜部のホントの狙いが、事件の解決や解明なんかじゃなくて、完全に「鳩山内閣潰し」だってことが全世界

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    molvisp 2010/01/17
  • 数学屋のメガネ:「寝ながら学べる構造主義」 第二章より 3 - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2010/01/14
  • 数学屋のメガネ:「ハンカチ」(重松清) 最近の読書から - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2009/12/23
  • 数学屋のメガネ:「抽象的すぎる」ということ - livedoor Blog(ブログ)

    僕は、宮台真司氏のブログを読むのも趣味の一つなのだが、今日は久しぶりに「社会学入門講座」を読み返してみた。その「第一回「「社会」とは何か」」の中には「この問いは、経済学の営みが前提とする「市場とは何か」という問題に比べれば抽象的すぎ、私たちが日常用語の範囲で答えることは不可能でしょう」という言葉がある。 これは、「社会」という言葉の意味するところが抽象的すぎて、日常用語の範囲では説明できないということだ。日常用語は具体的な事柄を説明することは出来るが、抽象的な概念を説明するにはどうしても専門用語がいるということだ。 この部分の宮台氏の主張は、確かにそうだと共感するとともに、それを何とか克服したいものだという願望もわいてくる。僕の好きなもう一人の著者の内田樹さんなどは、入門者に対しては、専門用語などはもちろん知らないから、とりあえずスタート時点では日常用語の理解で進んでもらおうというような説

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    molvisp 2009/11/22
  • 数学屋のメガネ:NHKの研究 その1 - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2009/08/03
  • 数学屋のメガネ:事実(知識)の面白さと理論(考察)の面白さ - livedoor Blog(ブログ)

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    molvisp 2009/02/09
  • 数学屋のメガネ:レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」における群構造の理解 - livedoor Blog(ブログ)

    レヴィ・ストロースが、オーストラリアの未開族であるカリエラ族における親族関係の中に群構造を見出したのはよく知られている。婚姻の規則の中に、クラインの四元群と同じ構造があることを見出した。このことについて、今までの僕の感覚では、それまで誰も気づかなかった隠された構造(仕組み)を発見したことにレヴィ・ストロースの偉大さがあったと感じていた。 しかしこのような理解は、ある意味では複雑で難しいパズルの答えを見出したことの頭の良さに恐れ入ったというような感覚だったようにも思う。レヴィ・ストロースの天才性に偉大さを感じていただけであって、その内容(構造を見出したということの意味・意義)の偉大さを理解していたのではなかったような気がする。 つい最近手に入れた『思想の中の数学的構造』(山下正男・著、ちくま学芸文庫)というの中に、「構造」の発見という構造主義の視点がいかにすごいものであるかということを教え

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    molvisp 2008/12/07
  • 数学屋のメガネ:私たちを幽閉している檻としての言語 - livedoor Blog(ブログ)

    内田樹さんが『こんな日で良かったね』で語る次のテーマは「言葉の力」というものだ。ここにはどのような構造が語られているのか。それはこのエントリーの表題にした「檻」で比喩されるような構造だ。「言葉の力」のイメージが、どのようにして「檻」という構造を見せてくれるのだろうか。 まずは、「言葉の力」という言葉に秘められた様々の意味を考えてみよう。内田さんは、これを学習指導要領の基理念として提出されていることからまず話を始めている。「言葉の力」こそが「学校のすべての教育内容に必要な基的な考え方」とされている。これは、国際学力調査の結果として、日の子供の学力の「二極化」が問題にされたことから、学力の低下をもたらした原因として「言葉の力」が不足しているという発想がされたようだ。 特に低下した学力は、読解力と記述式問題で、この学力調査の結果は非常に悪かったようだ。この問題を解決するために、「言葉や体

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    molvisp 2008/11/28
  • 数学屋のメガネ:言葉と思考の関係 - livedoor Blog(ブログ)

    内田樹さんの『こんな日で良かったね』で語られる最初の文章は「「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める」と題されている。これは、まえがきにあったように「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である」ということを前提とすれば、きわめて論理的な帰結だと感じられる。 内田さんは、「「言いたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている」という指摘をしている。表現の前に、何か表現したいものが自分の中にあったという感覚があるというのが、普通に教育現場で考えられていることだという指摘だろう。しかしこれは錯覚であって、正しくは次のようなものとして理解されると内田さんは語る。 「先行するのは「言葉」であり、「言いたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後

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    molvisp 2008/11/27
  • 数学屋のメガネ:命題論理の公理系の構造 - livedoor Blog(ブログ)

    『現代論理学』(安井邦夫・著、世界思想社)というに、LPと名付けられた命題論理の公理系が紹介されている。この公理系は、3つの公理と1つの推論規則から構成されている。とてもシンプルなものである。論理記号としては「否定」と仮言命題を示す「ならば」に当たる2つだけが使われている。これは、「かつ」と「または」を表す論理記号は、この二つによって表現できるので、その構成を出来る限りシンプルにするという目的の下に、この2つに限って使われている。「否定」を「〜」で、「ならば」を「→」で表現して、3つの公理を表現すれば次のようなものになる。 公理 1 A→(B→A) 2 (A→(B→C))→((A→B)→(A→C)) 3 (〜B→〜A)→(A→B) これらの公理の意味を解釈すれば次のようになる。 1 Aという仮定の下に、Bという仮定を立てれば、そのときにAが成立することが前提とされているので、Bの前提を立

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    molvisp 2008/11/21
  • 数学屋のメガネ:図と地という視点 - livedoor Blog(ブログ)

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』というでは、図と地に関する一章が設けられている。図というのは、絵画的表現で言えば、表現したい中心になるようなもので「積極的な部分」と書かれている。その表現を見たときに、目立つものとしてすぐ目に入ってくる部分というようなイメージだろうか。それに対して地の方は、その目立つ部分を支える背景に当たる部分になる。このでは「消極的な部分」と呼ばれている。これが目立つようでは図の表現がかすんでしまうから、確かに消極的でなければならないだろう。 この図と地という二つの概念は,ゲーデルの定理を理解するための比喩として語られているように思う。ゲーデルの定理では「証明可能ではない」という考え方が証明の中心をなす。しかし、形式システムでその性質が目立って我々に見えてくるのは「証明可能である」という方だ。つまり「証明可能性」の方が図であって、「証明不可能性」は、その図が見えた後に

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    molvisp 2008/10/30
  • 数学屋のメガネ:関数・写像の考え方とゲーデルの定理 - livedoor Blog(ブログ)

    数学から超数学へ』(E.ナーゲル、J.R.ニューマン・著、白揚社)の第6章「写像とその応用」には、写像という考え方がゲーデルの定理の証明においてどのように役立っているか、それがいかに質的な重要性を持っているかということが解説されている。それは次のように書かれている。 「写像の基的特徴は、ある“対象”領域に含まれている関係の抽象的な構造が、他の“対象”(最初のものとは別な種類のものであるのが普通です)領域の間にも成立することを示す点にあります。ゲーデルがその証明を作り上げる際の刺激となったのは、まさに写像のこの特徴だったのです。もし形式化された算術体系についての複雑な超数学的言明が、ゲーデルの望んだように、この体系それ自体における算術的言明に翻訳(すなわち写像)出来るならば、超数学的証明の遂行を容易にするための重要な布石が完了したと言えます。」 写像というのは、学校数学でいえば「関数」

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    molvisp 2008/10/26