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  • 「対話の暴力性」について考える|Ippei Oshida

    *コラムは2023年MIMIGURIアドベントカレンダー10日目の記事です。前回は後藤円香さんの記事『意志と余白を往復するデザイン』でした。 「対話」という言葉で検索すると、柔らかな笑顔を浮かべたやさしそうな人たちが、輪になって楽しそうに話をしているイメージ画像がたくさん出てくる。 やさしくて、あたたかくて、思いやりと共感にあふれた、楽しい空間。たぶんそれが、よくある「対話」のイメージだと思う。 もちろん、対話にはそのような側面もあるだろう。しかし、対話というものは、当にそんなやさしいだけのものなのだろうか。なんでも共感してもらえる、楽しい空間なのだろうか。これまでずっと、私はそんな対話のイメージに疑問を感じてきた。 私はMIMIGURIという会社で、ファシリテーターと呼ばれる、「対話」に関わる仕事をしている。今回は、「対話」という営みに普段から向き合っている者として、あえて、対話の暴

    「対話の暴力性」について考える|Ippei Oshida
    mom0tomo
    mom0tomo 2023/12/10
    ...「わかった」と思える部分が少しずつ見つかるかもしれない。「わかりあえる」部分を、少しだけ広げられるかもしれない。でも、どれだけ頑張っても、結局は全てをわかりあうことはできないのだ。[考え]
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