東京都立川市と昭島市とにまたがって存在した米軍立川基地は、1977年(昭和52年)に日本に返還されました。跡地の大半は国営昭和記念公園、立川広域防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地東部方面航空隊などに転用されましたが、昭島市域内のJR青梅線東中神駅北側に広がる跡地は、なぜか未転用のまま今日まで放置され、草ぼうぼうの状態で鉄柵で囲われたままになっています。私が東中神駅北側の住宅地に転居してきたのが1997年夏。返還から既に20年も経っていたのに、周囲には米軍が駐留していた頃の名残が随所に見られました。この珍しい不思議な風景は、記録に残しておきたいと感じさせるものでした。 ところが私が転居してきてから僅か2年弱の間に、中神側線の線路撤去、バス停「ランドリーゲート」の名称変更など、基地の名残は確実に消える方向にあります。また昭島市による東中神駅北側の再開発計画が具体的に動き出しており(※)、消えるピッ