牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日[注 1]〈文久2年4月24日[2]〉 - 1957年〈昭和32年〉1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。 命名は植物は2500(新種1000、新変種1500[3][4])[注 2]。ときには「日本の植物学の父」の呼び名で知られ[5][6][7][注 3]、日本各地に牧野の名前を冠した顕彰施設が存在する。多数の新種を発見し、命名も行った近代植物分類学の権威である。 その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『日本植物志図篇』(自費、未完)や『牧野日本植物図鑑』に代表される[9]。 旧制小学校中退でありながら理学博士の学位を取得。生誕の5月22日は「植物学の日」に制定[10]。94歳で死去する直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。没時に個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び[注 4]、命名

