今まで仕事で会った人を思い返すとパワハラ気味の人ほど退職引き止めがしつこい傾向がある。 ややもすると退職希望者は裏切り者とばかり罵倒しはじめる。 周りから見ると辞める理由はお前だよと一目瞭然なのだが、本人はどういう考えで上記心理状態になるのか識者の見解を聞きたい。
授業で黒板やホワイトボードを使う意味がわからなかった。 キーワードだけが抜き出されて書かれても、文章としてつながってる教科書のほうがわかりやすかったし、教科書や資料集と同じ図や表を描かれても、それ手元にあるじゃんとしか思えなかった。 あれは、教科書をカラー印刷出来なかったら50年前の名残りとかなんじゃないだろうか? モノクロの教科書にハイライト入れるためとかの。 上手いプレゼンほど、ごちゃごちゃした紙芝居しないじゃん。 講師は喋りを洗練させて、本当に必要な図や表は手元を見させたほうがいいと思うんだ。 携帯の契約とか不動産の契約とかでも、目の前の資料に書いてあることを、読み上げながらわざわざ手書きでもう一度書いてくれたりするけど、なんの無駄だよって思ってしまう。
長男(小学4年生)の視力が落ちてしまい、眼科で眼鏡をかけるよう言われたらしい。実際に見えにくいのは事実のようで、家の中では眼鏡をかけるけど、学校に眼鏡で行くのは頑なに拒否している。理由は言わずただただ「嫌だ!」と。親バカだけど、そんなに眼鏡が似合わない顔でもないのに。 思うに、彼が知っている範囲での「眼鏡キャラ」の扱いがあまりよくないからかけたくないのだと思う。のび太とかわんぱくだんのひろしとか、基本的に眼鏡キャラはヘタレだから、自分もそういうキャラにあてはめられそうで嫌なんだろう。 自分がどうだったかを考えてみると、確かに眼鏡はいやだったけどかっこいい眼鏡キャラにあこがれた部分もあったことを思い出した。具体的にはブレイクショットというビリヤード漫画ででてきた敵キャラ(?)に眼鏡がいて、そいつが中指で眼鏡の真ん中を押し上げるポーズがかっこよくて、よく真似してたんだった(中2の頃)。 小学生
最近旦那が週末にこそこそどこかに通っている。 まさか浮気じゃないでしょうね、と厳しく問い詰めたら、白状しやがりました。 ゲーセン通いですって。はあ、もうね。呆れてモノも言えません。 これならまだ浮気の方がマシに感じるってもんですよ。 聞けば、私の知らない間に二年間(二年間も!!)通っていたらしい。 それで、毎回千円程度、多い時には千五百円くらい使って帰ってくるらしいと。 これには私も怒り心頭! そんなムダ金使う余裕なんてウチにはありません! 激昂する私に対して夫はバツの悪そうな顔をしながらも、どこかから書類をおずおず持ってきた。 その書類というのが、ちょうど二年前からの健康診断表。 そういえばめっきり渡して貰わなくなったと思ったら、こっそり隠していたらしい。 当時の診断結果には、内臓脂肪やらコレステロール値やらの正常値オーバーな結果と、「要観察」の文字。 それが現在に近づくにしたがって、見
「よし!じゃあ俺産むよ!」 と自ら声を上げる男性はどれくらい入るのだろうか。 出産は女の役目だろとキレる人が半数を超えそう。 男である自分が妊娠下時のことを想像してみたが、つわりで何ヶ月もゲーゲー吐いて、お腹がどんどん膨らんできて、日常生活に支障が出る。 でも自分のお腹にいる子供が生まれた時は凄い感動するだろうなぁ。 嫁さん俺の代わりにバリバリ働いてさ。 そうなってくると段々性別が逆になってきたりして? なんてことを妄想した。 出産する女性を大事にしない男はクソ。
会社の新人に取引先への宛先作成業務をさせようとしたら、「御中」を知らないどころか、「昭和の文化ですか?」とか言いやがった。 うちの会社がアホだと思われるから頼むから覚えて、って言ってなんとかやらせてるんだけど、そういえば自分はこの御中ってどこで覚えたかな…ってのが思い出せない。 会社に入るずっと前から知ってた気がするんだけど。皆どこで知った?
元増田様 ブクマの世界からお節介にやってきた増田ですが(ややこしいなw)お返事ありがとう。 ブコメの方々が指摘するように私が大学にいたのは恐竜がいた時代ですから現状の参考になるかはわかりません。とはいえ、私も大学の学び舎で、教鞭をとる身となってしまったので、どういう学生が欲しいか、また美術界、デザイン界として、どういう人を育てていきたいかという視点も入っています。つまり採択する側としての視点だと思っていただければ。 今は私も既に化石化しつつあるので、元増田さんのように意欲があり、夢を持っている後輩が育っていくのは楽しみです。 人生は長いようで短く、特に10代というのはあっという間に過ぎてしまいます。高校時代というのは長い人生のうちたった3年です。その時に出会い経験したことは、基礎教養だけでなく、つまり学問以外のことでも、今の私を人格を形成していると感じます。 何かを生み出し、作り出すクリエ
時代劇 - Wikipediaの内容を整理する。 1910年代。日本映画草創期。歌舞伎の演目を題材にしたり、歌舞伎役者を引っ張ってきたりしたので、自然と時代劇が増えた。尾上松之助がスターとなる。 1920年代。映画業界が軌道に乗り、各社が時代劇スターを擁するようになる。阪東妻三郎や嵐寛寿郎、長谷川一夫などが登場する。 1930年代。トーキー映画への移行。戦前の映画黄金期であり時代劇の黄金期でもある。 1940年代、戦時中は検閲、戦後すぐはGHQの禁止により、映画(時代劇)が作りづらくなる。 1950年代。GHQに禁止された反動で時代劇映画が増加。 1960年代。ここで一気に映画からテレビドラマへの転換が起きる。 1970年代。著名な時代劇シリーズが始まる。時代劇の第二次黄金期と言える。1966年銭形平次1969年水戸黄門最も有名なナショナル劇場のもの1970年大岡越前1970年遠山の金さん
魚介類代表。ぱっと思い浮かぶのはマグロとタイだろう。 マグロは全国的に魚の王者という扱いを受けているように見える(特に関東)。 実際、取引される価格や、魚体の大きさから言っても王者たる風格は十分である。 トロは高級牛肉に引けを取らない高級食材のひとつだ。 一方、タイは西日本を中心にウオサーの姫的な唯一無二の地位を確立している。 タイは、マグロが下魚とされてきた古の時代から常にリーディングフィッシュとして魚介シーンを牽引してきたのだ。 確かに生マグロの中トロの刺し身や、タイの昆布締めは、うまい。すんげえうまい。これ食っとけば間違いない感じがする。 だが、最強食材としてこの二種がそのままワンツーフィニッシュしてしまうのは、どうも納得がいかない。 海は広いのである。 海のポテンシャルにもっと賭けたい。そう思った。きっと海は応えてくれる。 そこで、魚介類最強の食材を決めるため、一度、王者も姫も抜き
来年の春には進学で家を出る息子が、親に嘘をついて彼女の家に泊まった。 嘘をつくことが許せないし、彼女の親は何も言わないの? 未成年なのに、お泊りを許すってどういうことなの。 理解しがたい。 残り数カ月を楽しく過ごして、彼の旅立ちを見送って、子離れしなくちゃなあって涙ぐむつもりだったのに台無しだよ。 明日には、入学金と一年間の授業料を振り込むために仕事を休む段取りをしたというのに。 未来に向かって頑張るからお金をかけても惜しくはないと思っていたのを踏みにじられたようで怒りが収まらない。 二度と帰ってくるなという言葉を飲み込んだ。 なんとかまっとうに生きてほしい。 それだけなのに。 子離れできない親のエゴなのかもと思って怯む。 ※追記 息子は中学一年生で童貞を捨てている。 ちなみに相手は二つ年上だった。 立派なマザコンに育て上げた自信はある。 毒親というならそうなんだろう。否定はしない。 今は
少年漫画って爆発の威力が妙に低くない? ワンピースとかすごい顕著(街が吹っ飛ぶくらいの爆弾を至近距離で喰らって生きてたキャラがいる、基本的にどんな爆発を受けてもちょっと表面にススがついてゲホッて言う程度)だし、ナルトも起爆札は使うけどそれが決定打になることは全然ない印象 どう考えても殴るより爆風に巻き込まれる方が効くと思うんだよな そりゃあ肉弾戦が強い世界観なのかもしれないけど、鍛えた人間のパンチ以下の威力しか出ないならわざわざ火薬つくって弾に詰めて…って作業をやる意味なくない? その点ハンターハンターとかはちょっと爆発に巻き込まれると腕くらいは全然取れる感じで良かった 銃を胸に食らったら死ぬが爆風に巻き込まれても服がちょっとボロボロになるだけ みたいな風潮は絶対おかしい 爆弾をなめるなよ
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。 だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じ
こんばんは、アジです。 人間界では我々が懸命に生きた肉体の頭を落とし、半分にかっ割き、小麦粉からせっかく生成したふっくらパンをなぜか粉砕してできるというパン粉なるものを塗りたくり、水を沸騰させるのでは不可能なほどの常軌を逸した高温の油にぶち込んでできるというアジフライが、貧乏人の食べ物として貶められていると聞いて衝撃を受けています。 我々はかつて、イワシを嘲笑していました。イワシというのは漢字で「弱い魚」と表記されるそうで、しかもそれは弱肉強食の底辺に位置するということではなく、市場で弱い(市場価値が低い)という意味なのだと知って、顔を合わせるたびに「死んでからも弱いってざまあ、ゴミ以下だなおまえら」と嘲笑し、自尊心を保っていました。 しかし、アジフライ。貧乏人の食べ物なんですか。何かの間違いなんじゃないんですか。 人間界にはバラバラ殺人なる猟奇的犯行が世間に衝撃を与えることがあるそうです
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