コトバンクに関するmonobako2のブックマーク (11)

  • 山鹿素行(やまがそこう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    [1622~1685]江戸前期の儒学者・兵学者。会津の人。江戸に出て儒学・兵学・神道・仏教・歌学などを修め、古学を提唱した。官学の朱子学を批判して「聖教要録」を著し、播磨はりまの赤穂に流されたが、許されて江戸に帰った。著「配所残筆」「中朝事実」「武教全書」など。 江戸前期の儒者、兵学者。名は高興(たかおき)、字(あざな)は子敬(しけい)、通称は甚五左衛門、素行は号。元和(げんな)8年8月16日会津若松に生まれる。江戸に出、1630年(寛永7)林羅山(はやしらざん)に入門、儒学を学び、小幡景憲(おばたかげのり)、北条氏長(ほうじょううじなが)に兵学を学ぶ。若くして『四書諺解(げんかい)』『兵法神武雄備集』(1651)を著し、さらに神道(しんとう)・和学を修めるなど秀才ぶりを発揮し名声をあげた。幕府仕官の内意があったが、将軍家光(いえみつ)の死により実現しなかった。1652年(承応1)より16

    山鹿素行(やまがそこう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/07
    1622〜1685儒学兵学和学神道などを学び朱子学の立場に立つがのちに転向。中国の宋や明の書物を経由せずそのまま孔子の時代の書物を読もうという運動を開始。日本こそが中華である中朝事実など。
  • 大島海峡(おおしまかいきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    鹿児島県南部,奄美大島島とその南西部にある加計呂麻島との間にある長さ約20km,幅約2kmの海峡。瀬戸内とも呼ばれる。沿岸は山が海峡に迫り,屈曲に富むリアス海岸で風光に優れ,奄美群島国定公園の中心部となっている。特にサンゴ礁の景観はすばらしく,海中公園に指定されている。ただ沿岸の産業は見るべきものがなく,一部に真珠養殖が行われるだけであるが,台風の避難港としての利用が多い。大島郡瀬戸内町に属する。

    大島海峡(おおしまかいきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    沈降海岸。台風時には避泊水域。クロマグロや真珠の養殖。黒潮が流れるリアス式海岸。サンゴ礁の景観がすばらしく海中公園に指定。奄美群島国定公園の中心部。
  • 人権宣言(じんけんせんげん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    [一] 一七八九年八月二六日、フランス革命のはじめに立憲議会が採択した宣言。正確には「人間と市民の権利の宣言」。基的人権(人権の自由平等、言論出版の自由、所有権の神聖)、主権在民、三権分立など、近代市民社会の基原理を規定。前文と一七条から成る。九一年憲法に前文として掲げられた。

    人権宣言(じんけんせんげん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    1789年。アンシャンレジームへの死亡証書。全17条。「第15条では公務員に対し行政上の報告を求める権利」/たった230年じゃ極東にたどり着くまではまだまだ遠い
  • 加計呂麻島(かけろまじま)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    大島海峡(瀬戸内)を隔てて大島の南に位置する島。史料上は佳奇呂麻島などとみえる。南に請島(うけしま)水道を挟んで請島、南西に与路(よろ)島があり、北部の南西沖に須子茂(すこも)離・夕(ゆう)離がある。現在の瀬戸内(せとうち)町中央部にあたる。面積七七・一五平方キロ。周囲一四七・五キロ。北西から南東に長い形状で、最高所の加崎(かさき)岳(三二一メートル)をはじめ高所は北西部に偏しており、沈水性の地形であることから多数の岬や湾入をもち、海面からいきなり山地になっている場合が多い。大島海峡に臨む一帯は奄美群島国定公園。

    加計呂麻島(かけろまじま)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    奄美大島の南西すぐに位置する島。お互いが山なで間は台風時の避難港となる。黒潮が流れリアス式の海岸となるため豊かな生態系でありマグロの完全養殖も行われる。諸鈍芝居など集落ごとが孤立していたため独自の文
  • 俘囚の乱(ふしゅうのらん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    古代末期、いったん政府統治下に入った蝦夷(えぞ)の起こした反乱。俘囚とは政府側に降伏した蝦夷のこと。彼らは、集団的に内国に移住させられる場合と、東北地方の現地に特定地域を指定されて、そこに定住させられる場合とがあった。どちらの場合にも、彼らは従来の組織を解かず、俘囚長の直接支配下に置かれたから、政府の地方政治が緩むにつれて、反乱を起こすようになった。その例として、814年(弘仁5)の出雲(いずも)、848年(嘉祥1)の上総(かずさ)、878年(元慶2)の下総(しもうさ)、883年の上総などの俘囚の乱があるが、そのなかでもっとも大規模なものとして、878年出羽(でわ)国秋田城下に起こった元慶(がんぎょう)の乱がある。秋田城や郡衙(ぐんが)を襲い、官舎や民家を焼き払い、秋田河(雄物(おもの)川)以北の地の独立さえ要求した。前九年・後三年の役はその最後の反乱といえる。 [高橋富雄]

    俘囚の乱(ふしゅうのらん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    俘囚とは政府側に降伏した蝦夷のこと。土地を移動させられる時もあったが元の武力集団で維持されたため政府の地方支配が緩むと反乱が頻発した。800年台から始まり前九年の役後三年の役が最後のもの。
  • 安倍貞任(あべのさだとう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    [生]寛仁3(1019) [没]康平5(1062).9.17. 陸奥,厨川 平安時代中期の武将。頼時の子。通称厨川二郎。永承6 (1051) 年,父とともに朝廷に反抗,陸奥守藤原登任の軍を破り,次いで着任した源頼義に帰順したが,天喜4 (56) 年,貞任が権守の子弟を夜襲したという嫌疑をかけられたことから頼義と安倍一族の戦いが再開された (→前九年の役 ) 。安倍氏は集団的な同族支配を行い,奥6郡では頼時の諸子が分割支配し,貞任は岩手郡厨川柵 (くりやがわのき) に拠った。天喜5 (57) 年,父頼時は戦死したが,貞任のもとに固く結束した安倍一族は,河崎柵に頼義の軍勢を破った。その後数年間,衣川以南の内郡にも勢力を張ったが,康平5 (62) 年,頼義が出羽俘囚 (ふしゅう) の長清原光頼,武則兄弟との同盟に成功するや,貞任はこの連合軍に衣川,鳥海両柵を奪われ,ついに拠厨川柵に敗死,その首

    安倍貞任(あべのさだとう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    1029?―1062/平安後期の奥羽の武将。厨川次郎。俘囚長安倍頼時の次子。前9年の役後三年の役で源氏に抗戦。源頼義が不当に殺害しようとしたため一族で全面戦争。清原武則が敵方で参戦後不利になり厨川柵で戦死。
  • マグロ(まぐろ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    硬骨魚綱スズキ目サバ科に属するマグロ属の魚類の総称。属名のThunnusはギリシア語で「突進」を意味する語に由来する。マグロ類は、魚体が大きく遊泳力に優れ、分布域や回遊範囲が非常に広大なことが特徴。カジキ類は、マグロ類とは別類であるがマグロ類と同様な特徴をもち、肉質も似ていることから、日では俗にカジキマグロともよばれている。ヨーロッパやアメリカでは、マグロ類に近縁のカツオをマグロの仲間としてスキップジャックツナskipjack tunaと呼称する。シビはマグロの古名であるが、地方名としても使われる。メジはマグロ類の若齢魚の呼称である。 [上柳昭治] 種類・近縁種マグロの祖先は、熱帯地方の沿岸域に生息していたサバに類した魚で、そのなかから外洋域に分布を広げ進化してきたものとされている。サバ、サワラ類、ハガツオ、イソマグロ、ソウダガツオ、スマなどもマグロ類と近縁で、これらは沿岸や近海にすむが

    マグロ(まぐろ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 大島紬(おおしまつむぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    鹿児島県奄美(あまみ)大島の奄美市名瀬(なぜ)地区を中心に生産される平織の絹織物で、絣柄(かすりがら)を主とした高級着尺地。また、これに技法を同じくして生産され、「……大島」の名でよんでいる各地の絹織物を含んでさすことがある。大島紬がいつごろから生産されていたかは明らかではないが、おそらく南の久米島(くめじま)紬から技法が伝わる江戸初期ごろから盛んになり、やがて1720年(享保5)には島津藩から紬着用の制限令が出されているので、このころには一般に普及していたのであろう。藩政時代には貢納品として少量生産されたにすぎないが、明治ごろから隆盛に向かった。しかし現在では交通運輸に便利な鹿児島土産のものが生産量も多いのが現状で、奄美から鹿児島へ移った人たちによって織られているものが多く、これも大島紬とよんでいる。第二次世界大戦前鹿児島で織られていたものは、緯(よこ)絣でこれを鹿児島大島とよんだ。そ

    大島紬(おおしまつむぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    テーチキを煮詰めたもので糸を染めたのち泥水中の鉄分と反応させる泥染によって作られる。
  • 奄美大島(あまみおおしま)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    奄美諸島の北東部に位置する島。単に大島と称され、また奄美として大島をさす場合も少なくない。諸島内で最大の面積をもち、瀬戸内(せとうち)(大島海峡)を挟んで南東にある加計呂麻(かけろま)島、さらに南西の請(うけ)島・与路(よろ)島を含む。東に喜界(きかい)島、南西に徳之島がある。北部に名瀬(なぜ)市と笠利(かさり)町・龍郷(たつごう)町、中央部に大和(やまと)村・宇検(うけん)村・住用(すみよう)村、南西部に瀬戸内町がある。「海東諸国紀」の琉球国之図に「大島 去恵羅武一百四十五里 属琉球」とある。「中山世譜」首巻に琉球三十六島のうちとして烏世麻(大島と俗称)と記されている。「列朝制度」によれば、大島の周り五九里一〇町で、鹿児島から一四三里、喜界島までは七里、徳之島まで一八里という。「三州御治世要覧」では道之島五島のうちとしている。 島の北端、笠利崎は北緯二八度三一分四〇秒付近にあり、南端は二

    奄美大島(あまみおおしま)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    リアス式でかつ黒潮が通り抜け可能な領域があり豊かな生態系となっている。島全体はほとんど山地である。1609年の島津占領以後日本の土地に。サトウキビのモノカルチャーが強制された。大島紬の生産でも有名。蘇鉄
  • マングローブ(まんぐろーぶ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    熱帯の海岸に森林をつくる、主にヒルギ科の常緑高木の総称。幹から気根・支柱根・呼吸根などを出し、実は母樹についたまま種子が発芽してから落下し、生育する。マレー地方に多く、琉球諸島などにもみられる。紅樹林。 [類語]林・木立・森・森林・密林・ジャングル・山林・雑木林・林野・樹海・樹林・保安林・防風林・防雪林・砂防林・防砂林・原生林・原始林・熱帯雨林・熱帯降雨林・熱帯林・温帯林・寒帯林・紅樹林・広葉樹林・針葉樹林・落葉樹林・照葉樹林・松林・杉林・梅林・竹林 熱帯や亜熱帯の遠浅の海岸沿いの砂泥地に海水の塩分濃度に耐えうる樹木が多数集まってつくる樹林をいい、紅樹林ともよぶ。おもにヒルギ科、シクンシ科、クマツヅラ科、センダン科などの植物からなる。マングローブの北半球における最北限は鹿児島県下のメヒルギからなる低木の樹林である。種子島(たねがしま)のメヒルギ林では、樹高が8メートルにも達するものがあり、

    マングローブ(まんぐろーぶ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    “遠浅の海岸沿いの砂泥地に海水の塩分濃度に耐えうる樹木が多数集まってつくる樹”奄美あたりが北限。塩の排出や水に沈む中でも呼吸する仕組みがある。
  • ヒルギ(ひるぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    ヒルギ科(APG分類:ヒルギ科)Rhizophoraceaeの植物の総称名。ヒルギ科は双子葉植物、離弁花類。常緑高木または低木。おもに砂泥の堆積(たいせき)が著しい海岸湿地、河口や感潮域の河岸などに生える。熱帯を中心に17属約100種あり、マングローブ(紅樹林(こうじゅりん))の主要構成種となる。アジアでは日が分布の北限で、日には九州南部にメヒルギKandelia obovata Sheue, H.Y.Liu et W.H.Yong〔K. candel (L.) Druce〕、オヒルギ(別名ベニガクヒルギ)Bruguiera gymnorhiza (L.) Lamk.およびヤエヤマヒルギ(別名オオバヒルギ)Rhizophora stylosa Griff.の3属3種が生育し、西表(いりおもて)島で日最大の紅樹林を形成する。この3属に共通する特徴は、葉は対生し、単葉で厚い革質、早落性の

    ヒルギ(ひるぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
    monobako2
    monobako2 2017/04/03
    マングローブ。奄美ではメヒルギオヒルギの二種。種子が棒状で泥に刺さることもあるが多くは流され横になる。蟹が埋めることもある。枯れる葉に塩を貯める。落ち葉の養分が食物連鎖の基盤。
  • 1