押井守は書籍『映画の正体 続編の法則』(立東舎)の中で以下のように述べている。 「みんな好きなようにしか映画を見ないんだよ。そしてこの好きなようにしか見ないんだというところに映画の本質があるし、映画の面白さがある。これは否定できないし、否定するべきでもない」(P273) 映画に限らず、表現とは創作者と受け手の相互誤解の上に成り立つものである。創作者の意図通りの物語が伝わらないことは、往々にして起こりうる。しかしその“誤解”こそが、作品を面白いと感じたり、あるいは多様な批評性が生まれる要因である。この押井の論調に、筆者も同意する。 その誤解を元に多様な解釈が可能な作品こそが『グリッドマン ユニバース』だ。今回は本作を制作したTRIGGERの歴史も踏まえながら、革新的な物語について考えていきたい。 『グリッドマン ユニバース』は1993年に放送された特撮作品の『電光超人グリッドマン』を基に制作
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