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ブックマーク / tamuratetsuki.hatenablog.com (14)

  • 学風 - tamuraの日々の雑感

    歳をとったせいか、最近「学風」というものについて、考える/考えざるを得ない機会がよくある。学風などいらないという向きもあるかもしれない(どこの大学・機関でも同じように研究がなされ、教育が提供されるべき)が、僕はそうは思わない。やはり、大学/学部ごとの独自性みたいなものはあった方がよいと思う。なぜなら、そういう独自性からありきたりではない研究も生まれるのではないか、と思うから。 しかし、「学風」というのはどのようにすれば生まれるのだろうか。いくつか考えるところを列挙してみたい。 1)同じような理論、アプローチ、方法、あるいは「世界観」を持つ研究者を集める。 ある意味、これは最もわかりやすい。そのような研究者たちを集めることができれば、間違いなく学風は生まれるだろう。 しかし、このやり方で注意すべきこともある。第一に、質よりも「同じ」を重視してしまうかもしれず、結果的に、同じような人が集まって

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    monogragh
    monogragh 2015/07/06
  • 訃報 - tamuraの日々の雑感

    竹村和子先生が亡くなったという話を聞いて、ちょっと衝撃を受けている。 ぼちぼち次のが出ないのだろうか、などと思っていたところだったので、なおさらである。 先生とは、『思想』2010年5月号として刊行された「情念と政治」についての研究会でご一緒させていただいた。どこかでも書かれていたが、その研究会でも、『触発する言葉』以後のバトラーについての違和感(?)のようなものを語られていたことが、印象に残っている。 その研究会には、故・柴田寿子先生も参加されていた。女性研究者二人が立て続けに亡くなったことをどう受け止めればよいのか、僕にはまだ適切な言葉が浮かばない。ただ、フェミニズム理論を語る場合に、無視することのできない方を失ったことだけは確かである。 愛について―アイデンティティと欲望の政治学 作者: 竹村和子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2002/10/18メディア: 単行購入: 3

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    monogragh
    monogragh 2011/12/22
  • 編著『語る』刊行のお知らせ - tamuraの日々の雑感

    まもなく、田村哲樹編『政治の発見5 語る――熟議/対話の政治学』風行社、が刊行されます。2010年10月22日刊行予定で、2400円+税です。 【アマゾンに書誌情報が出ました】 このページです→ http://j.mp/dtgBRy (10月23日) 【bk1に、書誌情報が出ました】(10月21日) http://www.bk1.jp/product/03337913 書は、「政治の発見」全8巻(編者代表:齋藤純一・杉田敦)の中の一冊で、シリーズの宇野重規編『政治の発見4 つながる――社会的紐帯と政治学』と同時に刊行されます。 なお、その他の編者は、岡野八代、宮太郎、川崎修、押村高といった方々です。 風行社サイトに、シリーズの紹介文が出ました。 http://www.fuko.co.jp/catalog/ShinYokoku_hakken.html 第5巻の目次は、下記の通りです。

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  • deliberative system - tamuraの日々の雑感

    'deliberative system'という言葉は、Jane Mansbridgeが'Everyday Talk in Deliberative System'という文章の中で使ったものだ。その後、Carolyn Hendriks, John Parkinson, Robert E Goodin, そしてJohn S Dryzekといった人々がこの用語を積極的に使い、発展させようとしている。面白いことに、みんなANU関係者だ。Parkinsonは今はイギリスだけど。熟議を広く捉えていこうとするところに、そしてそれを政治哲学と経験的分析の間でやろうとするところに、意図したのかどうかわからないけれど、「ANU学派」(勝手に命名)の一つの特徴があるのだろう。 deliberative system概念の示唆するところは、恐らく二つある。 一つは、熟議民主主義の場を、多様かつ広範なものとして、

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  • 山崎2009-10 - tamuraの日々の雑感

    山崎望さんの雑誌『駒澤法学』連載中の注目論文。掲載雑誌が途中で変わっていますが、連載です。4回まであるようで、まだ未完です。 山崎望「世界秩序の構造変動と来るべき民主主義(1)(2)」『駒澤法学』第9巻1号、第9巻2号、2009年10月、2009年12月。 山崎望「世界秩序の構造変動と来るべき民主主義(3)」『駒澤大学法学部研究紀要』第68号、2010年3月。 下記の駒澤大学のサイト経由で、すべて読むことができます(最初のリンクではページが開かなかったので、直しました)。 (連載1)http://j.mp/9HiMq8 (連載2)http://j.mp/cqcYVU (連載3)http://j.mp/9MmRUa さて、山崎さんには大変な大変な不義理をしており、これを叱咤激励と受け止め、頑張らなければならないのでした。。。。

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  • 竹田 2009; 2010 - tamuraの日々の雑感

    竹田香織「性同一性障害者特例法をめぐる現代的状況―−政治学の視点から」『GEMCジャーナル』(東北大学グローバルCOEプログラム), no. 1, 2009.(下記からダウンロードできます) http://www.law.tohoku.ac.jp/gcoe/ja/archive/gemc_detail.php?ID=01 竹田香織「マイノリティをめぐる政治過程分析のための理論的考察」『GEMCジャーナル』(東北大学グローバルCOEプログラム), no. 3, 2010. (下記からダウンロードできます) http://www.law.tohoku.ac.jp/gcoe/ja/archive/gemc_detail.php?ID=03 竹田さんは、以前に東北大学で学部集中講義をやった時に、院生でありながら出席してくれた方なのですが、ウェブ上で、上記の論文を発見。 前者は、若干予備作業的な側面

    竹田 2009; 2010 - tamuraの日々の雑感
  • O'Flynn 2007 - tamuraの日々の雑感

    Ian O'Flynn, "Review Article: Divided Societies and Deliberative Democracy," British Journal of Political Sciece, Vol. 37, pp. 731-751. ざざっと読む。 民族的に分断された社会における民主制度の構築についての二つの立場、つまり、一方の、比例代表制による「包摂」を志向するレイプハルトと、他方の、それぞれの集団の主張を「穏健化」するべく「妥協」へのインセンティヴを考慮に入れた制度設計を行うべきとするホロヴィッツに対して、「包摂inclusion」または「穏健化moderation」によって「安定性」を獲得するのではなく、「政治的平等」によって「包摂」と「穏健化」をもたらすことが重要であり、そのために熟議民主主義の諸原理が重要、と主張する(レビュー)論文。 著者に

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  • 宇野 2010 - tamuraの日々の雑感

    シドニーへの行き帰りで、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010年)を読了。 〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書) 作者: 宇野重規出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/04/21メディア: 新書購入: 10人 クリック: 174回この商品を含むブログ (61件) を見る一読しての全体、とりわけ前半の印象は、「再帰的近代化」という状況における「個人」のあり方の変容とそこでの「デモクラシー」の必要性を、実に平易な言葉で、しかし、欧米の社会理論で論じられているポイントは逃さずに、論じている、ということである。その筆さばきは、さすがと言うほかはない。 さて、現代の「新しい個人主義」と言っても、著者の注目するそれは、両義的なものである。一方で、現代の〈私〉は自分の「かけがえのなさ」にこだわる〈私〉である。他方で、その〈私〉は「大勢のうちの一人」でしかない自分というものを

  • Chambers 2004 - tamuraの日々の雑感

    Simone Chambers, "Behind Closed Doors: Publicity, Secrecy, and the Quality of Deliberation," Journal of Political Philosophy, Vol. 12, No. 4, pp. 389-410. 公開の空間(public sphere)における議論は、「国民投票理性(plebiscitory reason)」に支配される恐れがあり、閉じられた空間(closed session)における議論は「私的な」理由づけ(private reason)に支配される可能性がある。 前者については、国民投票理性(それは「操作」「迎合」「イメージ喚起」の戦略から成る)の支配を恐れて一部の人々による閉じられた空間での議論に期待をかけることは民主主義を拒否することになる(p. 400)。そうではなく

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  • 白川 2010 - tamuraの日々の雑感

    白川俊介「分断された社会における社会的連帯の源泉をめぐって――リベラル・ナショナリズム論を手がかりに」『政治思想研究』第10号、2010年、 社会的連帯の解体に対して、熟議を通じた連帯形成ではなく、「ナショナリティ」をベースとしたそれを擁護しようとする論文。福祉国家と民主主義に関わるテーマでの論争的な(?)問題提起を、まずは素直に歓迎したいと思う。この種の議論が、日でも、もっとなされるようになれば、僕としても大変うれしい。 まだ、ざっと読んだだけなので、以下に書いていることは暫定的なメモとして受け取っていただきたいということを明記(!)したうえで、いくつか書く。 個人的には、ナショナルなものに適切に熟議民主主義の枠組が作用していれば、そうでないナショナルなものよりはよい連帯が生まれるだろうと思っている。その限りでは、ナショナルなものと熟議とは相反しない(なお、「相反する」と白川さんあるい

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  • 『日本版政治学ハンドブック』を考えてみようの巻 - tamuraの日々の雑感

    某ついったー上でやり取りから思いつき的に考えた、『日政治学ハンドブック』構想。なお思いつきレベルながら、ちょっとこっちにも書いてみる。 ■コンセプト 政治学の各分野におけるこれまでの成果をまとめつつ、今後の動向を展望する できるだけ多くの分野を包括することで、「政治学」の多様性と奥行きを示す 欧米の動向に倣うべきところは倣いつつ、日の特徴にも十分に配慮した内容とする つまり、どこか特定の分野だけで作るのでもなく、欧米あるいは日のどちらかにのみ照準するのでもない形で、構想することが大切。 ■内容 ○(たとえば)以下のような「分野」を設定する。なお、名称は当然暫定的(というか、このエントリ自体、暫定的もいいとこなんだけど)、かつ、並びも思いつき順であるので、念のため。(※「政治制度論」を追加しました) 政治理論・政治哲学(political theory and political p

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  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    下記の『新編 日フェミニズム4』所収の村田論文で言及されていた、江原由美子「家事労働を『強制』するメカニズム」小倉利丸・大橋由香子編著『働く/働かない/フェミニズム』(青弓社、1991年)を読んでみる(こんなも持ってきているのだった)。 働く/働かない/フェミニズム―家事労働と賃労働の呪縛?! (クリティーク叢書) 作者: 小倉利丸,大橋由香子出版社/メーカー: 青弓社発売日: 1991/09メディア: 単行購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (5件) を見るごく短い論文というか、小倉利丸氏との対談への小倉氏による「補足」へのコメント、という形式の文章なのだけれど、江原氏の鋭い視点がよく表現されている。言及されていた部分だが、この箇所。 男性たちは、女性たちが学んでいる活動の必要度への認知を、けっして真面目には受け取らない。女性から学ぼうとはしない。実のところ、この

  • 近刊予定 - tamuraの日々の雑感

    「シリーズ・新しい社会政策の課題と挑戦」の第3巻。 ・武川正吾編『シティズンシップとベーシック・インカムの可能性』法律文化社。 http://www.hou-bun.co.jp/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03112-9 え〜と、新刊のところで紹介されてはいますが、まだ出ておりませんよ。 私も寄稿させていたいております。刊行されたら、またご紹介いたします。 シリーズの1巻、2巻はこちら。 社会的排除・包摂と社会政策 (シリーズ・新しい社会政策の課題と挑戦) 作者: 福原宏幸出版社/メーカー: 法律文化社発売日: 2007/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 37回この商品を含むブログ (8件) を見るワークフェア―排除から包摂へ? (シリーズ・新しい社会政策の課題と挑戦) 作者: 埋橋孝文出版社/メーカー: 法律文化

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  • 科学と問題解決 - tamuraの日々の雑感

    根岸 毅「最終講義 政治学はどのような学問か?」『法学研究』(慶応大学)第80巻第3号、2007年3月。 いくつかメモ。 自然科学者は〔社会科学者・政治学者のように〕「価値自由」の主張を行なうことがない。その理由は、自然科学では理学と工学の分業が確立しているからである。工学者が扱う対象は価値に関わっているが理学者は価値関心から解放されている、という理解は、自然科学者の間でも、社会一般にも広く受け容れられている。(72頁) しかし、実際は、「応用」研究とされる工学で活用されているのは、理学が手に入れた知見のみではない場合がふつうである。〈中略〉これは、問題解決(工学)は理学で入手された知識のたんなる「応用」に過ぎないとする、従来の「科学についての理解」に誤りもしくは足らないところがあることを示唆している。そして、もし政治学に、社会の期待に応える――社会が求める問題解決の手引きを提供する――必

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