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文芸に関するmopinのブックマーク (2)

  • 自意識をめぐる群像劇 – 朝井リョウ「何者」

    何者 この著者が一番気になっているのは、多分、自分も含めた人々、特に若者たちの自意識なんだろう。それを単に、自意識過剰な人達、─所謂、昔っからそういう人間は「嫌な奴」と決まってるわけだけど、そういう「嫌な部分」を明るみに出すのではなくて、「自意識過剰な人達」のことを揶揄したり、批判したりしている人達の「自意識過剰」さみたいなものも含めて扱うってところにこの人の作品の面白さがあるのだろうと思う。 だいたい自意識過剰な人達とか、自分はこういう人間で、みたいなことを自分で主張したり定義したりする人ってのは、コミュニティの中では嫌われる。これは今も昔もそうなんだろうけど、昔は自分を表現する手段が話をするとかしかなかったものが、ソーシャルメディアの普及のせいで、誰にも話かけたり、主張したりもしてないけど、自身を演出することができるようになってしまった。そのせいで、一見過剰な自意識は直接的なコミュニテ

    自意識をめぐる群像劇 – 朝井リョウ「何者」
  • 猫を償うに猫をもってせよ

    いま大河ドラマでやっている「長徳の変」についてウィキペディアで見ると、藤原道長が「黒幕」だと書いてあるのだが、どういう風に黒幕なのかは書いていないから分からない。 平安前期の「応天門の変」も、伴善男が応天門に火をつけて源信に罪をなすりつけようとした事件だが、これについても、藤原氏が伴氏や紀氏を追い落とすための陰謀だという説があったが、実際火をつけたのは伴善男だろうし、どういう風に陰謀なのか分からないのである。 日近代文学史では、山田美妙の「ですます体」は、尾崎紅葉らの「だである体」に敗れたということになっているが、実際にはですます体はかなり根強く生き延びていて、最近の新書などはですます体が多いし、児童文学も以前からかなりですます体だ。ほかにですます体の小説といえば中里介山の『大菩薩峠』や、野村胡堂の『銭形平次捕物控』があり、中村光夫の文藝評論がある。 私が若いころ、歌謡曲好きの友人が「作

    猫を償うに猫をもってせよ
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