セオドア・ハーマン・アルバート・ドライサー(英語: Theodore Herman Albert Dreiser, 1871年8月27日 - 1945年12月28日)は、アメリカ合衆国の作家。 インディアナ州テレホートで、ドイツ系移民(ローマ・カトリック)の父とチェコ系移民(メノー派)の母との間に、13人兄弟の12番目の子として生まれる。父親の事業が失敗したせいで一家は貧しかった。14歳年上の兄ポール・ドレッサー(英語版)は19世紀末に活躍した作曲家・俳優であり、ドライサーは短編集『Twelve Men』(1919年)の一編“My Brother Paul”で兄の人生について書いている[1]。 16歳で家を飛び出したドライサーは、様々な職業を経て新聞記者となり、セントルイス、ピッツバーグ、ニューヨークなど各地を転々とする一方で、ホーソーン、ポー、バルザック、ハーバート・スペンサー、ジョン・