2015年6月10日のブックマーク (2件)

  • 「重光葵が『戦争は負けだから、せめて大義名分の置き土産を』と考えて大東亜会議が開かれた」(伊藤隆) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    昨日は「興亡の日史」というシリーズの一冊を紹介したが、今回は「日の近代」シリーズ。それもその「付録」である。16巻「日の内と外」。 日の近代 16 日の内と外 作者: 伊藤隆出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2001/02/01メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (3件) を見る ここに付録として、16巻を執筆した伊藤隆氏と作家・上坂冬子の対談がある。 ここで、重光葵の話が出てきて、上坂氏が、大東亜会議での重光の位置はどのようなものだったのでしょう?と問うと、伊藤氏はこう答える。 伊藤  重光はナチスとの提携などに反対していましたし、ましてや共産主義者と手をつなぐなどとんでもないと考えていました。彼がイギリス大使だったころ、ロンドンから「三国同盟などもってのほかだ」という電報を打っています。 重光は昭和18年に東條英機改造内閣の外相に就任しますが、もう戦争はやめ

    「重光葵が『戦争は負けだから、せめて大義名分の置き土産を』と考えて大東亜会議が開かれた」(伊藤隆) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記

    表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純

    『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記