2023年9月28日のブックマーク (7件)

  • 「九尾の狐」その起源と、変遷の歴史~ゆうきまさみらが考察

    ゆうき まさみ @masyuuki 「九尾の狐」というのは元々はいい神様だったらしいという話は置いといて。これが傾国の妖怪「玉藻前」に仕立て上げられたのは江戸時代のことらしい。これ和ファンタジーでしょう。んで、この妖怪退治に駆り出されたのが、上総介広常、三浦介義明、千葉介常胤ってんだから、歴史ファンにもたまらん。 2023-09-24 20:45:00

    「九尾の狐」その起源と、変遷の歴史~ゆうきまさみらが考察
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 正力松太郎(震災当時・警視庁官房主事、後に読売新聞社主)

    朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。大地震の大災害で人心が非常な不安に陥り、いわゆる疑心暗鬼を生じまして一日夜ごろから朝鮮人が不逞の計画をしておるとの風評が伝えられ淀橋、中野、寺島などの各警察署から朝鮮人の爆弾計画せるものまたは井戸に毒薬を投入せるものを検挙せりと報告し2、3時間後には何れも確証なしと報告しましたが、2日午後2時ごろ富坂警察署からまたもや不穏鮮人検挙の報告がありましたから念のため私自身が直接取調べたいと考え直ちに同署へ赴きました。 当時の署長は吉永時次君(後に警視総監)でありました。私は署長と共に取調べましたが犯罪事実はだんだん疑わしくなりました。折から警視庁より不逞鮮人の一団が神奈川県川崎方面より来襲しつつあるから至急帰庁せよとの伝令が来まして急ぎ帰りますれば警視庁前は物々しく警戒線を張っておりましたので、私はさては朝鮮人騒ぎは事実であるかと信ずるに至りました。 私

  • よみうりランドの聖観音像、妙見菩薩像

    住所 稲城市矢野口4015-1 訪問日 2010年6月20日 この仏像の姿(外部リンク) HANA・BIYORI・聖なる森 拝観までの道 よみうりランドへの交通は、京王線の京王よみうりランド駅、小田急線の読売ランド前駅か新百合ケ丘駅からバス。京王よみうりランド駅前からはよみうりランド直営のゴンドラ「スカイシャトル」で行くこともできる。 原則火曜日がお休み(メンテナンス期間など臨時休業あり。夏休み期間などは無休)。 よみうりランドの北の端に「聖地公園」という不思議な空間がある。遊園地の入口からジェットコースターごしに白いパゴタ(塔)が見えるが、その周辺に塔や仏像を安置するお堂がある。 入口はアシカショーの横手。 当然のことながらほとんどの来園者はアトラクションを楽しむために来ているので、この公園まで足を運ぶ人は少ない。ジェットコースターのコースの脇やゴンドラの下の何となく寂しい小道をどんどん

  • 常明寺 - SHINDEN

    常明寺(じょうみょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市倭町)にあった天台宗寺院。度会氏(二門)の氏寺。倭姫命の陵墓の伝承地が隣接する。日蓮旧跡ともされる。伊勢神宮関連旧跡。廃絶。尾上寺。泉寺。 歴史 継体天皇代の創建。『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、尾上山峰に退いて、「石隠」したとあるが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であると言われる。現在は宇治山田陵墓参考地に指定されている。 聖徳太子が再興したとされる。『神祇源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。また外宮禰宜の檜垣常明が再興したため、この名前がついたという説があるが、彼の時代以前からこの名前で存在していることが確認されているので否定されている。 日蓮が伊勢神宮に参拝した時、常明寺の井戸(誓願の井戸)で「三大誓願」を建てたという。 もと真言宗だったが寛永年間に天台宗に改宗。『毎事

  • 妙見菩薩と信仰 | 真言宗智山派 円泉寺 埼玉県飯能市|永代供養・墓地・武蔵野七福神(福禄寿)札所・銭洗い弁天

    紀元前数千年前、元々は現在のイラクやイランに栄えた古代アッシリアやバビロニアの砂漠の遊牧民が方角を確認するために北極星を神として信仰し、遊牧民を経て、中国に伝わりました。 中国においても、北辰信仰は、紀元前二千数百年前の堯・舜(伝説の王の名・夏の前)の時代に記録されているという。 北極星の信仰が古代中国に伝わり、道教などの星信仰と習合していきます。 北極星は、道教においては、天帝太一神の居所であり、北辰を北極大帝、北極紫微大帝、玄武大帝もしくは北極玄天上帝などと称し、最高神である玉皇大帝の命をうけて星や自然界をつかさどり、天界、人界、冥界の三界を総宰する神格とされるようになりました。 仏教では「七仏八菩薩諸説陀羅尼神呪経(妙見神呪経)」として組み込まれました(正倉院の写経請帳(736 年)にこの経もみえる)。「妙見」とは仏典を根拠とする言葉です。 妙見菩薩とは、北極星、北斗七星を神格化し

  • 秩父神社 柞(ははそ)の森 | ジオパーク秩父

    はコレ!秩父三社の1つ。 県内屈指の古社であり、街なかの中心に位置する秩父地方の総社。 例大祭である「秩父夜祭」が有名。鎮守の森である「柞の森」は、かつて広大な規模を誇った宮森の面影を今に伝え、神聖な空間を守っている。 秩父三社の1つである秩父神社は、およそ二千百有余年の歴史を持つ県内屈指の古社です。ユネスコ無形文化遺産になった「秩父夜祭」は秩父神社の例大祭であり、毎年12月2、3日に行われ多くの人で賑わいます。 徳川家康の寄進を受けた権現造りの社殿も美しく、「つなぎの龍」、「子育ての虎」などの彫刻は、日光東照宮「眠り」で知られる名工・左甚五郎の作と伝わっています。そんな秩父神社の鎮守の森は、古くから「柞の杜(もり)」と呼ばれ、人々に親しまれてきました。 享和2年(1802)に書かれた『秩父大宮妙見宮縁起』にも「柞の杜」とあり、ミズナラの繁茂した神聖な森であったと伝えられています。文