ブックマーク / ameblo.jp/kaye-kyoto (1)

  • 『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』

    高校の現代文の教科書にあった、清岡卓行さんの「ミロのヴィーナス」という評論、覚えていますか? ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、「両腕を失っていなければならなかった」。 なぜなら、その失われた腕という「無」こそが、(想像力で補うことのできる)完全な美であり、もし復元してしまったら、「限定された有」へと変化してしまうからだ。 …というような内容でした。 ご存知ない方はすみません Wikipediaより 高校時代アメリカに住んでいた私も、現地校がお休みの土曜日に通っていた日語補修校で、この文を読んで、こういう見方があるのか!と、いたく感銘を受けたのを覚えています。 その後美術論に興味を持つきっかけとなった思い出深い文章です。 なのに、昨日の夜お風呂に入りながら、全然べつなことからミロのヴィーナスのことを考えていて、ふと、わかっちゃったことがあります。 この評論、めっちゃ間違ってる…。

    『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』
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