2024年3月10日のブックマーク (5件)

  • 2013年度リレー連載 第10回:「美学」入門―カントの『判断力批判』を読んでみよう― | 芸術学部 基礎教育

    *この記事は、平山敬二 基礎教育教授が執筆しました。 美というものは、来「感じとられるもの」であり、学問的に把握できるようなものではないということも、たしかに一面の真理を捉えているということができます。しかし、われわれによって「感じとられる」美とは、そもそも何なのか、ということを問うことは可能であり、また人間にとって必然的なことでもあるとも言えるのではないでしょうか。 「美学」は、もともと哲学の一分科として成立した学問で、「美とは何か」「芸術とは何か」という問いを、哲学的な立場で引き受けるものと一応言うことができると思います。(もっとも今日ではこのような定義には収まりきれないさまざまな意味での「美学」の捉え方について語られることも多くなっているのですが)。それでは「哲学」とは何かと言えば、そもそもその問い自体が哲学の根的な問いでもあるわけで、これもまた一筋縄ではいかない問題ではあります

  • 【シリーズ:BOOK】カント美学の理論からその継承までを概説。『美学』

    【シリーズ:BOOK】カント美学の理論からその継承までを概説。『美学』 雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャーから注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2020年12月号の「BOOK」2冊目は、美学者・小田部胤久が、カント『判断力批判』における理論やその背景、継承を概説する『美学』を取り上げる。 評=中島水緒(美術批評) 『美学』の表紙 カント美学の足跡を学ぶ 美学美術史を学ぶ者であれば一度は目を通しておきたい必読の古典、その筆頭にカントの『判断力批判』(1790)が挙げられることは異論を俟たないだろう。しかし、近代美学の礎を築いたこの書物を端から端まで精読するのは決して容易ではない。数々の美学用語を原義に沿って正しく理解し、かつ論理の骨子を無駄なく取り出す作業は、初学者でなくとも多くの労苦を伴う。学問の道が長く険しいのは前提だとしても、それな

    【シリーズ:BOOK】カント美学の理論からその継承までを概説。『美学』
  • 【満州文化物語(8)】芥川賞作家・清岡卓行と、自死した後輩 戦争で失われた「故郷」への強い想いとは… (1/2ページ)

    (7)に戻る 芥川賞作に大連の想い《大連の五月は…こんなに素晴らしいものであったのかと、幼年時代や少年時代には意識しなかったその美しさに、彼はほとんど驚いていた》 前回、旧制旅順高のくだりで紹介した作家で詩人の清岡卓行(たかゆき=平成18年、83歳で死去)。芥川賞受賞作『アカシヤの大連』(昭和44年下期)には外国からの租借地を故郷とする矛盾に苦悩しつつも、大連への迸(ほとばし)る郷愁が綴(つづ)られている。 清岡は大正11(1922)年、日統治時代の大連に生まれた。父親は満鉄技師。大連一中(旧制)から昭和15(1940)年に新設された旅順高(旧制・関東州)の1回生として入学するも、わずか3カ月で退学、フランス文学を格的にやりたくて一高(同・東京)を受け直す。旧制高校でフランス語を第一外国語とする「文丙(ぶんぺい)」クラスがあった学校は一高など、わずかしかなかった。 一高から東京帝大仏文

    【満州文化物語(8)】芥川賞作家・清岡卓行と、自死した後輩 戦争で失われた「故郷」への強い想いとは… (1/2ページ)
  • 『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』

    高校の現代文の教科書にあった、清岡卓行さんの「ミロのヴィーナス」という評論、覚えていますか? ミロのヴィーナスが魅惑的であるためには、「両腕を失っていなければならなかった」。 なぜなら、その失われた腕という「無」こそが、(想像力で補うことのできる)完全な美であり、もし復元してしまったら、「限定された有」へと変化してしまうからだ。 …というような内容でした。 ご存知ない方はすみません Wikipediaより 高校時代アメリカに住んでいた私も、現地校がお休みの土曜日に通っていた日語補修校で、この文を読んで、こういう見方があるのか!と、いたく感銘を受けたのを覚えています。 その後美術論に興味を持つきっかけとなった思い出深い文章です。 なのに、昨日の夜お風呂に入りながら、全然べつなことからミロのヴィーナスのことを考えていて、ふと、わかっちゃったことがあります。 この評論、めっちゃ間違ってる…。

    『(悲報)国語教科書の「ミロのヴィーナス」が間違いだって気づきました』
  • 「権力との危険な関係――清水次郎長と黒駒勝蔵」 | 文藝春秋 電子版