日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが[1]、1980年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされ、跳開することはない。 近年、再び跳開させようとの市民運動や都・一部都議の動きはあるものの、機械部等の復旧に莫大な費用(東京都の試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現の目途は立っていない[2]。 かちどき橋の資料館 明治期より架橋の計画は何度かあったものの実現せずにいた。1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置された。築地と、対岸の月島の間を結ぶ渡し舟である。埋め立てが完了した月島には石川島造船所の工場などが多く完成しており多数の交通需要があったことで、1929年(昭和4年)「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が実現した。 建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。このため陸