ブックマーク / rekishikomugae.net (9)

  • 串木野の照島神社、海の守り神だけど、じつは山の神を祭る? - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    照島神社(てるしまじんじゃ)は、鹿児島県いちき串木野市西島平町に鎮座する。 串木野は薩摩半島の西側に位置し、東シナ海に面している。「串木野港」という大きな港がある。ここは遠洋漁業の基地でもある。その串木野港のやや南に「島平港(しまびらこう)」がある。ここが、かつては串木野港の中心地だった。 島平港の沖に「照島」という小島が浮かぶ。照島神社はここに祭られている。 創建年代は不明。御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)・大山津見命(オオヤマツミノミコト)。 朱色の太鼓橋を渡って 薩摩焼開祖着船上陸記念碑 島津義久も立ち寄る 徐福が上陸したところ? もともとは松尾大明神 朱色の太鼓橋を渡って 島平港の近くに大きな朱の鳥居が立っている。そこが参道口だ。赤い欄干のある参道を、海に向かって歩いていく。沿岸部は「なぎさ公園」そして整備。ここには広い駐車場もある。 鳥居を

    串木野の照島神社、海の守り神だけど、じつは山の神を祭る? - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 『だんドーン』第1巻(作/泰三子)、川路利良の新たな魅力が描き出される - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    思ってもみなかったのである。まさか、川路利良(かわじとしよし)を主役にした漫画が出てくるなんて! 連載が始まったとき、驚いた。 そして、これが面白いのである! その作品は『だんドーン』という。作者は泰三子(やすみこ)氏。2023年6月に『週刊モーニング』(講談社)で連載開始。2023年10月に単行の第1巻が発売された。 『だんドーン』第1巻、川路利良誕生地にて だんドーン(1) (モーニングコミックス) 作者:泰三子 講談社 Amazon 川路利良は日の警察制度をつくり、初代の大警視(現在の警視総監にあたる)を務めた人物。漫画の主役とするには、なかなかにマニアックな人選である。 泰三子氏の代表作は『ハコヅメ ~交番女子の逆襲』。警察の日常を描いた作品だ。自身も警察官として10年間勤務した経験を持つ。そんな作者が日の警察制度の原点となる人物を描くのである。 なぜこの作品を描くことになっ

    『だんドーン』第1巻(作/泰三子)、川路利良の新たな魅力が描き出される - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 蒲生八幡神社は創建から900年、島津義弘も崇敬した大隅国の武神 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    鹿児島県姶良市に蒲生(かもう)というところがある。この地に鎮座する蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は素敵な場所だ。 主祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。ほかに摂社・末社も境内には祀られている。 そして、境内には「蒲生の大楠」と呼ばれる巨樹がある。この御神木もすごい存在感なのだ。 蒲生氏が創建 島津義弘が再興 木々の生命力を感じる 蒲生氏が創建 保安4年(1123年)に蒲生舜清(かもうちかきよ、藤原舜清)が創建した、と伝わる。もともとは「正八幡若宮」と呼ばれていた。 蒲生氏は関白の藤原教道(ふじわらののりみち)の後裔を称する。蒲生舜清(藤原舜清)は豊前国宇佐(現在の大分県宇佐市)の宇佐八幡宮の社家の出身だという。父は宇佐八幡宮の留守職、母は宇佐八幡宮の宮司の娘とされる。 藤原舜清は宇佐から大隅国に移る、まずは下大隅(しもおおすみ、鹿児島県垂水市)に入り、そのあとに蒲生に移る。この地に

    蒲生八幡神社は創建から900年、島津義弘も崇敬した大隅国の武神 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 島津氏の戦国時代を知る本、オススメをまとめてみた - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    島津氏の歴史は面白い! その中で、戦国時代が人気だ。島津忠良(しまづただよし)・島津貴久(たかひさ)・島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)・島津家久(いえひさ)・島津忠恒(ただつね)・島津豊久(とよひさ)など人物もそれなりに知名度がある。 島津氏の戦国時代を知ることができるをまとめた。記事作りでお世話になっているもの、個人的に人に薦めたくなるものを紹介してみる。 『島津貴久-戦国大名島津氏の誕生-』 『「不屈の両殿」島津義久・義弘 関ヶ原後も生き抜いた才智と武勇』 『島津義弘の賭け』 『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』 『九州戦国城郭史: 大名・国衆たちの築城記』 『戦国武将列伝11 九州編』 『現代語訳 上井覚兼日記 ―天正十年(一五八二)十一月~天正十一年(一五八三)十一月』 『現代

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  • 『鹿児島県史料集』が便利! 鹿児島県立図書館のホームページで読める! - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    『鹿児島県史料集』なる鹿児島県立図書館のシリーズ刊行物がある。こちらで出ているが、島津氏や南九州の歴史を調べるときにすごく重宝するのだ! 鹿児島県立図書館には貴重な史料・資料が大量に所蔵されている。『鹿児島県史料集』は、その所蔵をおもな底として翻刻されたものだ。昭和34年(1959年)よりはじまり、ほぼ年1冊のペースで発行。これまでに第61集までが出ている。 そして、『鹿児島県史料集』各刊は鹿児島県立図書館のホームページ内ですべて閲覧可能なのだ。pdfが公開されている。 鹿児島県史料集はこちらで読める。 www.library.pref.kagoshima.jp とにかくイイが揃っている! 当ブログでは南九州の歴史をテーマにしているが、この中には参考資料としているものもかなりある。そんなわけで、全61集のうちで個人的なオススメをちょっと挙げてみる。 『島津世禄記』/第36集 『島津

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  • タノカンサァ(田の神様)、南九州のあちこちで出くわすぞ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    田んぼの畔で見かける。辻に立っていたりもする。神社や公民館で出会うことも。 タノカンサァ(田の神様)の像がものすごくたくさんある、鹿児島県と宮崎県南部には。その数は確認されているだけでも2400体以上にもなるそうだ。 地元の者にとってタノカンサァは風景の一部という感じ。それでいて、なんだか気になる存在でもあるのだ。 姿はいろいろ どこにいる? 信仰のあり方いろいろ 子孫繁栄の神様 島津氏の領内で広がった 源流はもっと古そう 姿はいろいろ まずは、タノカンサァ(田の神)の姿を見てもらいたい。 こちらは鹿児島市川上町にあるもの。「川上の田の神」と呼ばれている。紀年銘から寛保元年(1741年)に作られたものらしい。道沿い立っていて、田んぼを見守る。 川上の田の神 「触田の田の神」。鹿児島県姶良市の稲留神社の境内いにいる。元文2年(1737年)製。 触田の田の神 いいカオをしている! 鹿児島県薩摩

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  • 山神社と旧参道へ、霧島神宮の本殿脇から山に入っていくと - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    霧島神宮は鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座する。天孫降臨の神話が息づく、格式の高い神社である。島津(しまづ)氏の崇敬も篤く、境内は壮麗な雰囲気なのだ。 勅使殿の向かって左から山のほうへ入れるようになっている。こちらへも行くべし! 霧島神宮の見どころはまだまだある。 山神社 旧参道へ 鎮守神社と性空上人墓 御手洗川と若宮神社 霧島神水峡 霧島神宮についてはこちらの記事にて。 rekishikomugae.net 山神社 殿脇のほうへ。こちらは静かな雰囲気だ。 社殿の左手のほうへ 山道に出る。「高千穂嶽道(おたけみち)」と呼ばれる古道である。ずっと登っていけば高千穂峰(たかちほのみね)の麓の高千穂河原(たかちほがわら)まで続いている。実際に歩くとなると高千穂河原まで3時間ほどかかるようだ。道案内の看板には「山神社(やまじんじゃ)」とある。ここを目指す。 高千穂嶽道に出る 山道を歩いていくと、すぐ

    山神社と旧参道へ、霧島神宮の本殿脇から山に入っていくと - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 写真が真っ白! 露出調整が不調になった、その原因はレンズの絞り羽根に - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    いつものように撮る。カメラの液晶画面を見て違和感を感じた。写真が真っ白なのだ。明らかに露出オーバーである。困った。 私が体験したカメラのレンズに関する出来事について、今回は記事にしてみた。同じような状況に遭遇した人の参考にでもなれば、と。 症状について レンズの絞り羽根に不具合 まさかの自然治癒 症状について 写真がやたらと露出オーバーになるのである。でも、ちゃんと撮れている写真もある。ちなみに「絞り優先」での撮影。いろいろと設定をかえてみる。とりあえず、露出補正を思いっ切りマイナスにしてみると、イイ感じの明るさになった。しばらく撮っていると、今度はものすごくアンダーに撮れた絵も出てきたりもする。 こちらは露出補正を変えて撮った一例。リサイズ以外は画像に手を加えていない。補正なしだと、かなりの露出オーバーに。 f5.6 露出補正なし カメラ側の露出補正をアンダーめに設定。まだオーバー気味だ

    写真が真っ白! 露出調整が不調になった、その原因はレンズの絞り羽根に - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    鹿児島県北部の山間に「湧水町」という自治体がある。2005年に吉松町と栗野町の合併により発足したもので、湧水が多い地域であることから新町名もつけられている。このあたりは霧島連山の西麓に位置し、山々が蓄えた水が湧出する。湧水町内では栗野(くりの)の丸池湧水(まるいけゆうすい)、吉松(よしまつ)の竹中池湧水(たけなかいけゆうすい)が知られている。 竹中池湧水の近くにある熊野神社(くまのじんじゃ)は素敵な場所である。境内に湧水が湧き、なんとも心地良い雰囲気なのだ。かつてここには内小野寺(うちおのじ)もあった。島津義弘(しまづよしひろ)も崇敬した場所でもある。 内小野寺は明治時代初めの廃仏毀釈で廃寺となり、熊野神社のみが残る。かつての様子は『三国名勝図会』の絵図で確認できる。 『三国名勝図会』より内小野寺(国立国会図書館デジタルコレクション) 『三国名勝図会』とは鹿児島藩(薩摩藩)が編纂させた地誌

    吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
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