厚労省が5月から公開している、労働基準関係法令の疑いで書類送検・局長指導された企業をまとめたリスト(関連記事)、いわゆる“ブラック企業”に関するリストを、一覧にして検索できるようにしたサイト「ブラック・ブラック企業」が登場しました。 サイト内もブラックな「ブラック・ブラック企業」 2016年10月~2017年6月までに公表された企業・事業場393件のデータが一覧化されており、「都道府県別」「公表年」「公表月」「違反法条」からそれぞれ知りたい項目を選択してリストから検索できるようになっています。 例えば、時間外労働や賃金の未払いなど労働問題で送検されている企業を知りたい場合、「違反法条」から「労働基準法」を選択すれば一気に絞り込むことが可能で、さらにそこから都道府県別で確認もできます。 また、どれも最初から棒グラフで表示されているため、都道府県別の件数などに関しては一目瞭然で非常に分かりやす
1945年8月6日。「新型爆弾で廣島が相当な被害」を受けたと知って,中学二年のぼくは不審だった。480機の空爆を受けた名古屋でも、被害の規模は報道されないのに? マッチ箱大の爆弾が米艦隊を壊滅させる小説(北村小松)は読んでいたが連想できなかった。だって神国は勝つに決まってるから。
革命は起こせると思っていた ──激動の経歴です。 逮捕歴のある学生運動家は、当時ゴマンといた。普通の就職活動はできず、サブカルチャーの世界に逃げた人も少なくはない。自分もそんな珍しくない1人だった。 革命は起こせると思っていた。資本主義に対し、世界的な規模で若者が異を唱えている。僕らも少数派ではない、と。しかし母校を封鎖したところで何も変わらなかった。退学処分を受け、失意の中で何か稼ぐ手段を探していたら、アニメスタジオの「養成所員募集」の広告が目に入った。中学・高校時代には漫画家を目指していたから、高校時代に描いた大学ノート2冊分の漫画を持参して、採用試験を受けたら通っちゃった。1970年の秋だった。 ──夢を追ってではなく、食いつなぐためにですか。 漫画家としてやっていくのは際立った才能がいるから難しい。でもアニメーターなら何十人も集まって1作品を作る。これなら自分でも食いぶちぐらい稼げ
そのいっぽうで、彼は保守論壇の常連であり、みずからが支援する政治家の応援歌をいくつも手がけている。稲田の応援歌もそのひとつとして作られたものである。 そのうえであらためて「稲田朋美の歌」を聴き返すと、なるほど間奏部分にドラクエの懐かしい響きがないではない。現代日本らしい政治と音楽の結びつきがここにある。 右から2番目がすぎやまこういち 「ドラクエ11」の発表会見にて ©時事通信社 アメリカ大統領選挙でも名前を連呼 もっとも、政治家がみずからをアピールするために歌を活用することはよくある。その典型はアメリカ大統領選挙のキャンペーンソングだ。「稲田朋美の歌」のように、名前を連呼するものも少なくない。 たとえば、ジョン・F・ケネディ候補のキャンペーン・ジングルは、「ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ、ケネディ……」という歌詞ではじまる。 興味のあるかたは、「Kennedy 1960
わかめラーメン PRESENTS 若者の「お前はどこのわかめじゃ?」離れが進行中!? ほとんどの若者が 「わ〜かめスキスキピチピチ わ〜かめスキスキイキイキ」を 歌えない問題に迫る! ほとんどの若者が「お前はどこのわかめじゃ?」を知らないことが発覚 このままでいいのかエースコック そもそも32年前のCMだからか? 「エースコック わかめラーメン」が登場した当時、一世を風靡したテレビCMの、若者への知名度が著しく低下していることがわかった。このテレビCMは1984年に放映され独特の歌と、「お前はどこのわかめじゃ?」という謎のセリフが面白いと話題になった。これについて担当者は「本当ですか?」と驚いた様子だった。 石立鉄男さんの名台詞「お前はどこのわかめじゃ?」 「エースのわかめ!」と、勢いの良いCMだった。 衝撃の事実を前に頭を抱える広告担当者。
タレントの片岡鶴太郎(62)が、ヨガにのめり込み体重が43キロに、3歳児用のパンツを着用していることを明かした。 インド政府公認の「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」に6月に合格、ヨガ親善大使に任命された鶴太郎は、5日放送のフジテレビ系「めちゃ×2イケてるッ!」(土曜・後6時半)の「全然怖くない人の本当にあった怖いはずの話」に出演。正統派の怪談には定評あるが、話の“マクラ”で紹介したヨガの話が大暴走した。 「ヨガを始めて5年。昔は65キロあった。今は43キロなんですよ」と話し出した鶴太郎。「65キロの頃はパンツもメンズのM。43キロになるとSでも大きい…。実を言うと今、キッズの履いてます」と明かすと、めちゃイケメンバー一同はこらえきれず次々と吹き出す。続けて「今日は3歳用です」と告白するとさらに大きな爆笑を呼んだ。 さらに、鶴太郎は最高の浄化法とされる「ナウリ」と呼ばれる
しばらくこの動画消されちゃってたんだけど、またアップされたので貼っとく。 わたし、Facebookで「元たま」の石川さんと友達になっていただいてまして(石川さんは面識とかなくても、基本友達になってくれるスタンスです)、「またこの動画がアップされたぞー」って書いてたから気づいたんです。 この動画、音楽業界のいろんな部分が凝縮されてる気がする。 当時、一発屋と言われながらも各番組に引っ張りだこ、一躍時の人となった「たま」。Mステで「さよなら人類」を歌う際、知久さんのギターの音が拾われないセッティングになってしまってるんですよ。。(右端の、カッパみたいな頭の人が知久さんです) 曲が始まっても、一糸乱れぬピアノとベース、ドラムがあるから曲として成立してしまっているけど、明らかに音が足りない。 知久さんはコーラスもするのですが、序盤はコーラスも何か所かすっ飛ばしてギターを鳴らそうとウロウロ。。各メン
大きな胸はどう呼ばれてきたか(下)――グラマーのグラマーによるグラマーのための新しい言葉の時代へ アダルトメディア研究家・安田理央さんによる「大きな胸」をテーマにした連載、最終回の三回目です。今回は「巨乳」という言葉の誕生、巨乳グラビアアイドルの活躍による「巨乳」のお茶の間への浸透。そして、「巨乳」以降の「胸の大きな女性」を指す言葉についての考察です。 巨乳の誕生 元号が昭和から平成へと変わった1989年に一人のAV女優がデビューしました。 当時、女子大生だった19歳の松坂季実子です。 彼女のセールスポイントは、その大きな乳房でした。公称110.7センチ(これは「イイオンナ」の語呂合わせで、実際は90センチ台だったとの説もあります)。まるでメロンを二つぶらさげたようなその胸は、それまでの「Dカップ女優」のレベルを遥かに超えたものでした。週刊誌でも大きく取り上げられるなど、松坂季実子は一躍人
「大きな胸=ボイン」の時代 1965年11月から日本テレビ系列で放送された『11PM』は、日本で最初の深夜ワイドショー番組であり、大きな評判を呼びました。 その司会の一人である大橋巨泉が放送中に、アシスタントだった女優・朝丘雪路の胸を「ボインボインと出てるね」と言ったことから、大きな胸を「ボイン」と呼ぶことが流行しました。1967年のことです。 それまでに使われていた「肉体派」「グラマー」という表現は、体つき全体を指すことが多く、大きな乳房そのものを表現する日本の言葉は、この時初めて生まれたのです。 この年の年末には『漫画ボイン』なる漫画雑誌も創刊されましたし、2年後の1969年には漫談家の月亭可朝が『嘆きのボイン』というコミカルな曲を発表し、80万枚の大ヒットを記録しました。「ボイン」は子供たちの間でも使われるほど流行語となりました。
大きな胸はどう呼ばれてきたか(上)――男はいつから巨乳が好きになったのか 「大きな胸=魅力的」とされる現代。長い日本の歴史の中で、人々はずっとそう思っていたのでしょうか。また、「大きな胸」を指す「巨乳」という言葉。これも古くからある言葉なのでしょうか。今回から三回の連載で、「大きな胸」を日本人はどう読んできたのか、そしてどう認識してきたのか、アダルトメディア研究家・安田理央さんが解き明かします。 男性は昔から大きな胸が好き、だと思われがちですが、実は日本の男性が大きな胸の魅力に気づいたのは、戦後になってからです。長い日本の歴史の中で、ほんの70年ほどのことに過ぎないのです。 また、現在は「大きな胸」を「巨乳」と呼ぶことが一般的ですが、これも時代によって大きく変化しています。そして、その呼び方の変遷を調べてみると、日本人の「大きな胸」に対する意識の移り変わりも見えてくるのです。 今回から三回
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