タグ

Artとコミュニケーションに関するmorutanのブックマーク (2)

  • いい子ちゃんわるい子ちゃん - 吉田アミの日日ノ日キ

    そういえば昨日、原稿チェック打ち合わせをしたときに編集者の人が「アミさんの原稿、英訳したらものすごいやりやすかった」と言われました。村上春樹チルドレンですから!←絶対、違う。けど、そんなこともあるんだなーと思いました。私の原稿は文法とかめちゃくちゃで、イキオイだけで書いてる感じが否めないのですがそういうのがあってもいいというわけでありますよココに…。なんかね、最近、思うのが自分の作品を貶めることってそれを読んで感動してくれた読者を同時に貶めることと同じだよなとか思うとやっぱちゃんと全力で書かないと自信持てないし自信持てないと「こんな作品!」となって、自信なくても「でも、そんな作品が好き!」って人もいるわけですから逡巡しても仕方ない、全力でやればいいだけだよなという結論になりますよね…。読者に媚びた作品を作るのは読者に失礼だと思うんですけど、媚びろ!サービスしろ!という人のほうが最近、声大き

    いい子ちゃんわるい子ちゃん - 吉田アミの日日ノ日キ
    morutan
    morutan 2007/04/26
    アンチスーパーフラット宣言(すこし違うか)。じゃあ「安全じゃない剃刀」宣言。あと、※欄で「相互理解」圧みたいなのがちょっとかかってる (わるい子ちゃんのキュートさの話なんだけどな)
  • 松本理論 - 山に生きる

    なんか書こう。 ダウンタウン松について。 彼が自身のエッセイで発したメッセージは、「自分の笑いはレベルが高い人間にしか分からない」というものだった。その理念を彼は信じていて、客のレベルが低いと判断した番組を降板したり、入場料一万円のライブをやってみたり、料金後払いのライブをやってみたりした。最終的には、自分のやりたい笑いが出来る世の中ではないとして、自分の気の笑いを封印し、当たり障りない感じで番組をこなすだけになった。 その理念が正しいのか間違ってるのか(理念に正しいも間違ってるもないだろうが)は知らない。問題なのはその理念を信じてしまった人々だ。彼らは自分を「松の笑いが分かる選ばれた人間」のように感じ、一般受けする笑いを「レベルの低い笑い」、その笑いで笑っている人間を「程度の低い奴ら」と考える。みんなが面白いと言っていても、松が否定したナインティナインのような笑いは決して認めよう

    morutan
    morutan 2007/02/03
    笑いというものはある文化領域における常識(緊張)の「ぶれ」とか「ゆらぎ」に対してくすぐったさのようなものを感じたときに生ずるもののはず。だから、むしろそれぞれの場の常識がポイントだと思うんだけど。
  • 1