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人生に関するmotosonのブックマーク (216)

  • 今のこの状況が信じられるかい? by ラーズ・ヌートバー

    To Read in English, click here. 3年前の今頃、僕は文字通り、9時5時の仕事をしていた。 いや、実際は5時3時だった。朝5時から午後3時までの仕事だったんだ。 それは2020年、マイナーリーグのシーズンがキャンセルされたあとのことだ。僕はフロリダのジュピターで行われていた春のキャンプから、エルセグンドの実家に戻っていた。最初は当に最高だったよ。目が覚めたらボールを投げて汗を流し、友達のアンジェロとチップス(名はジョン)と一緒に南カリフォルニア大学へ行ってね。キャンパスの近くにクルマをとめて、USCトロージャンズのバッティングケージに忍び込んで。警備員の目を盗んで、Go Go Go! とフェンスを飛び越え、壁の隙間に入り込んでさ。楽しかったよ。 ところがある夜、バッティングの練習から戻ってくると、両親から座るように言われ、彼らはこう切り出した。「いいかい、あ

    今のこの状況が信じられるかい? by ラーズ・ヌートバー
  • 大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが

    大学時代にファミレスでバイトしてたんだけど、深夜帯の時間でよく被る韓国人と中国人の留学生と仲良くなった。高校時代にネットの嫌韓や嫌中に毒されてて当初、キッツイな、レジの金なくなったら俺も疑われんのかな、とか申し訳ないが思ってしまっていた。しかし話すと良い奴らだった。大学も同じだったため、すぐに仲良くなった。客のこない時間帯は事務所でコーラとタバコを楽しみながらダベるのが定番だった。 中国人はジェイ。なんでも中国では英語名を自分や友達同士でつけ、それで呼び合うのが一般的だそうだ。中国のやばい倍率の大学受験に落ち、日に留学してきた。俺らの通ってた大学は都内の私大だが、中国では東大に次ぐ大学として見られており箔がつくとのこと。親父が共産党員&国営企業の幹部で超ボンボンだった。ただ金の使いみちにうるさいため自由に使える金が欲しくてバイトしていた。大いだったが、生物が無理で寿司がべられなかった

    大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが
  • 「35歳を過ぎると徹夜できなくなるぞとか、40歳になると体力がガタっと落ちるぞ…」とよく聞くけど歳を重ねることで逆にどんなポジティブなことがあるのか、という話

    吉藤オリィ @origamicat 35歳を過ぎると徹夜できなくなるぞとか、40歳になると体力がガタっと落ちるぞとか45歳過ぎると腰がとか、先を往く人達から謎の脅しを受けがちな我々だが、そんなネガティブな話ではなくポジティブな話が聞きたい。 何かないのか。45歳で米が美味しくなるとか60歳で空気の味に目覚めるとか 2021-01-29 15:36:37

    「35歳を過ぎると徹夜できなくなるぞとか、40歳になると体力がガタっと落ちるぞ…」とよく聞くけど歳を重ねることで逆にどんなポジティブなことがあるのか、という話
  • 「研究が楽しいから」と言うたびに僕が思うこと - いつか博士になる人へ

    「何で大学院に行ってるんですか?」 はじめて行った街コンで、出会った彼女はそう言った。 「何でって…研究が楽しいから」 ぼくはそう答えた。 「ふぅん。どんな研究してるの?」 「薬を作る研究。抗がん剤とか」 ほんとはぼくの研究はもっと基礎的なもので、抗がん剤は応用可能性の一つにすぎないんだけれど、今はそんなこと話す必要がないことくらいは、そのときのぼくでも知っていた。 「へぇ、すごい。製薬会社とかに就職しないの?」 「うん、とりあえず今は企業に行く必要はないかなって思ってる」 「へぇ〜そうなんだ…がんばってください!」 彼女はそういって、別の男性と話に行った。 彼女の言いたいことはよくわかる。 修士で外資系投資銀行に就職した研究室の後輩は、一年目で年収700万を超えているし、大手製薬会社に就職した友人は、結婚して都内にマンションを買っていた。 ぼくも彼らと同じように就職していれば、彼女の反応

    「研究が楽しいから」と言うたびに僕が思うこと - いつか博士になる人へ
  • 皇后陛下お誕生日に際し(平成30年) - 宮内庁

    問 この1年も,西日豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされる

  • 理由もなく高校を休みたくなった

    この間、通学途中でどうしても学校に行きたくなくなって、電車で行けるところまでいって、街に繰り出して、屋やらカフェやらで時間をつぶして適当に帰った。 なんか、ドラマとか映画みたいでワクワクした。ぼっちだったけど。 親は放任主義だし、私の変なところを知っているので理由を説明しても、あまり気にしていなかった。 「新しい買ったの?よかったねー明日は行くの?」くらい。 担任から電話がかかってきたので、 「急に行きたくなくなったんです」って言ったらこてんぱんに怒られた。 ここで素直に理由を言っちゃった私が馬鹿だったとは思うんだけど、普段はユニークな人なのでそうなんだーと流してくれるかなと思ってしまった。 それを聞いた担任は激怒だった。 「理解できない」「ちゃんと理由があるでしょ。説明して」「いじめられているの?」 そんな言葉ばっかりだった。 「明日は来てよ」と言われたので、「すみません次回から気を

    理由もなく高校を休みたくなった
  • 1928年生まれの手塚治虫が、1974年頃に描いた60歳の女性像に衝撃

    Dean Shimauchi @deanshimauchi 1928年生まれの人が1974年頃に抱いた60歳の女性像に、ちょっと衝撃を受けたよ、ブラックジャック。 pic.twitter.com/8w04SiFvyD 2018-05-31 08:11:36

    1928年生まれの手塚治虫が、1974年頃に描いた60歳の女性像に衝撃
  • アラサーになって「何者にもなれない」という呪いが解けた - 欲しがります負けたって

    昔からずっと「私は何者にもなれない」と思い続けていた。 幼少期を欧米で暮らし、親も周囲もなんでも褒めてくれる環境で育った。 就学前に文字を読めば天才と呼ばれ、絵を描けば画家になれると言われ、笑えば「こんなに可愛い子は見たことがない」と言われ、仏頂面でいても「この子は哲学者だね」と言ってもらえた。(どんな子どもにもそうやって接する文化なのだ。) 当時の私がその褒め殺しの環境をどう捉えていたかはわからないが、帰国して国立大附属の小学校に入学した時のショックは覚えている。 イギリスの学校では筆算ができるだけで神童のように扱われていたのに、日の同級生には数学オリンピックで入賞するような子がいて、それなのに体育の成績が悪いと親に怒られて体操教室に通わされていた。自分は絵が得意だと思っていたけど、教室に並べて貼られた作品の中で自分の絵はお世辞にも上手い方には見えなかった。 とにかく勉強も運動も芸術も

    アラサーになって「何者にもなれない」という呪いが解けた - 欲しがります負けたって
  • 「中年の心の闇」がイマイチわからない - シロクマの屑籠

    35過ぎるとでかい無が見えてくるので対処しないでいるとそれに呑まれる— 小林銅蟲 (@doom_k) 2018年4月25日 中年がみえてきてデカい無がみえてくるの、とりあえず家族や子育ては無を二十年くらい遠ざけてくれるけれども、あくまで遠ざけてくれるだけだし、頼り過ぎると全員バグるので、根的解決とは言えない。が、使える方便ではある。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2018年4月25日 ときどき、「中年の心の闇」について考えることがある。 先だっても、タレントの誰それが未成年に犯罪行為に及んで書類送検された、というニュースが流れた。いっぱしの立場を獲得した中年が、ある日突然、大きく道を踏み外して回復不可能の傷を負う。その背景の心理や動機は、第三者にはさっぱりわからないことが多い。 メディアでは、よく「青少年の心の闇」という言葉が語られるが、実のとこ

    「中年の心の闇」がイマイチわからない - シロクマの屑籠
  • 新聞で見た「15歳の女の子」へ――椎名林檎、ものづくりの根底にあるもの - Yahoo!ニュース

    「おとなの掟」「華麗なる逆襲」……いずれも椎名林檎が提供した近年のヒット曲、話題曲だ。楽曲提供の他にも、CMソングにアニメの主題歌、リオ五輪閉会式では演出と音楽監督と、音楽に関することならなんでもござれとばかりに活動の場を広げる。音楽活動の原点には、「あの時の女の子」がいるという。(ライター・内田正樹/撮影・笠井爾示/Yahoo!ニュース 特集編集部) 椎名林檎がシンガー・ソングライターの活動の一方で手掛けてきたのが作家業だ。自らがデビューした1998年には広末涼子に、翌1999年にはともさかりえに楽曲を提供していた。デビュー当初から作家としての才能を買われていたことがわかる。阿久悠や都倉俊一といった、歌謡曲黄金期の作家や、バート・バカラックに憧れるという。

    新聞で見た「15歳の女の子」へ――椎名林檎、ものづくりの根底にあるもの - Yahoo!ニュース
  • The Igarashi lab at University of California Irvine | Kei Igarashi Lab at UCI

    この文章は、日神経科学学会の「神経科学ニュース」の研究室紹介ページのために書いたものです。 研究室紹介 「University of California Irvine 五十嵐研究室」 University of California Irvine Department of Anatomy and Neurobiology, Center for the Neurobiology of Learning and Memory Assistant Professor 五十嵐 啓 私は2016年2月よりUC Irvineにて研究室を主宰しております。ラボ開始から一年半を過ぎ、ようやくいくつかグラントがとれるようになり、やっと一息付けたように感じています。私は東大理学部の坂野仁先生の研究室で卒研を行い、医学部の森憲作先生の教室で嗅覚生理学研究を行って学位を取得しました。その後、ノルウェーのE

  • 安野モヨコ描き下ろし、庵野秀明とカラー10年の歩みを描いた「おおきなカブ(株)」公開 | MOYOCO ANNO

    Tweet 昨年11月、ラフォーレ原宿で開催された「株式会社カラー10周年記念展」。 そこで展示された安野モヨコ描き下ろしの「おおきなカブ(株)」を日より公開開始。 設立から10年という月日の流れを、として庵野秀明のそばで見守っていた安野モヨコが、記念に描き下ろした16ページ。 『監督不行届』おなじみの、カントクくんとロンパースと一緒に、カラー10周年の軌跡をお楽しみください。 同時に こちらから はアニメーション版も公開してます。 * * * ■関連リンク 株式会社カラー エヴァンゲリオン公式サイト 時々投稿される「ミニ監督不行届」が見られるのは こちら から。

    安野モヨコ描き下ろし、庵野秀明とカラー10年の歩みを描いた「おおきなカブ(株)」公開 | MOYOCO ANNO
  • 日曜日に

    へ 驚くべきことが起きました! 娘から デートに誘われたのです 7月2日、日曜に 横浜アリーナでライブがあり 娘は当は 友達と行くつもりだったそうですが 友達がどうしても行けなくなったので 代わりに僕を誘ったとのこと でもまだ決まりではありません 月末の金曜までに 誰か他の人が見つかれば そっちと行くそうです 要するに僕は 最後の手段 ギリギリの 補欠要員です 僕は平静を装って どちらでもかまわないよ それじゃあ一応 日曜は空けておくよ と言いました しかし内心は 冷静なはずがありません まさか娘が 僕をライブに誘うなんて! そんなことは 一生無いと思ってました 娘が小5の時に 君が死んで しばらくは父娘で 仲良くやってたつもりでしたが やはり君がいなくなってから 家の中は 彩度や明度が落ち 音楽テレビの声も シャカシャカと味けが無くなり 二人ではどうにもならなかった カラ元気は

    日曜日に
  • 研究者、諦めました 追記

    http://anond.hatelabo.jp/20170608221303 の増田です。 どこかに気持ちを吐露したくなって投稿したら、まさかこんなに多くの方に反応していただくとは思っておらず、恐縮です。 正直言葉足らずなところも多くて、もう少しきちんと書けばよかったなあと反省しています。 いろんな方のコメントをみてまた考えるところもあったので、再度投稿させていただきます。 私が訪問先の教授の言葉で非常にショックを受けたのは、その言葉で「研究者になることがどういうことかを考えてきていなかった自分」を自覚してしまったからなのでは、と思っています。 あまりに幼いころから「自分は研究者になるんだ」という気持ちが強すぎて、研究者に必要なものをきちんと見ていませんでした。 私は、ドクターを取って生きていくことはそう簡単なことじゃないことはわかっていたし、研究者になるためにそれなりに努力していた、そ

  • 研究者、諦めました

    研究者になりたかった。 昔から探求心旺盛で、虫眼鏡を持って空き地を歩いたり、図鑑を端から端まで読んだりして、気づいたら研究者が夢になっていた。 中学校に上がって嫌がらせにあっても、(自分には夢がある、こいつらに潰されていい人間じゃない)と思うことでなんとか耐えしのいでいたし、高校時代には特に興味のある研究分野を見つけ、その研究をやってる研究室を探したり、その研究室の教授のを読んだりもしていた。 そして大学受験、第一志望には落ちたものの大学院でそこに行けばいいと割り切って、後期で受かった大学に入学し、希望の分野とは少し違う分野の研究室に入った。 『この分野を研究する第一人者になる』という夢が若き私を支え続けていたのは確かだった。 そして3年の終わり、いくつか希望の研究室を訪問した。 ある教授とお話させていただいた時、「君の問題意識はどこにあるの?」と聞かれ、はじめて気づいた。 私、研究者向

  • 高専・奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか

    社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする 一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専・大学~大学院までは卒業したので 金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか 金がなくて子供を学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う まず最初に自分の家庭環境とか進学時の経済状況とかだけど 中学で高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた まあ兄弟が5人いてその長男だから仕方ない感じはあった よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど で進学先は公立か国立しか選べんかった 国立の高校は近畿の某大都市までいかないとなかったし 公立の高校は県内だと最高70くらいの偏差値の場所しかなかったから 対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした 親からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたっ

    高専・奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか
  • 82歳のおばあちゃんは、Appleが認めた開発者。その人生観が深かった…

    そう語るのは、若宮正子さんだ。御年82歳。彼女は、今年からプログラミング言語Swiftを学び始め、アプリをリリースした。 そんな実績が評価され、Appleがサンノゼで開催している開発者イベントWWDCに「サプライズスペシャルゲスト」として招待された。目をピカピカ輝かせてハッキリとかわいらしく話す彼女は、「マーちゃん」という愛称で呼ばれる人気者だ。 BuzzFeedは彼女に現地で会い、話を聞いた。どうしてプログラミングをはじめたの——? 母の介護をしている最中、出会ったインターネットに「翼をもらった」高校を卒業したマーちゃんは銀行に就職し、定年まで勤め上げた。 「私がある程度年齢を重ねてから『女性の社会進出』も好意的になりましたけど、確かに『女は家庭に』という風潮もありました。でも、私は自分に都合の悪いことは耳に入ってこないみたいで(笑)」 社交的な彼女にとって、仕事は楽しいものだったのだろ

    82歳のおばあちゃんは、Appleが認めた開発者。その人生観が深かった…
  • 2倍成人式(40歳):年相応の大人になれたかどうかのチェックリスト - 分裂勘違い君劇場の別館

    10歳の子どもたちの「2分の1成人式」の話に触発され、 『じゃあ、40歳の大人がちゃんと成熟した大人になれたかどうかの 「2倍成人式」があってもいいのではないか』と思い、 自戒を込めて「40歳ならこのぐらいはできてもいいんじゃないか」というチェックリストを作ってみました。 ●人の育成 ・子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であれ、同僚であれ、あなたは今までどれだけの人が健やかに育てるように支援してきましたか? ●動機づけ ・あなたは、子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であれ、同僚であれ、それぞれのやり方で動機づけ、気持ちよく物事に取り組めるようにしてきましたか? ●人の発掘 ・あなたは、今までにどれだけの人の可能性を見つけ出し、引き出し、それぞれの適性に応じたミッションと待遇が得られるようにサポートしてきましたか? ●傾聴 ・あなたは、子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であ

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  • 任期付きポスドクだから結婚式にボス呼びたくない

    任期付きポスドク男。結婚することになった。彼女(婚約者)は正社員。 彼女は結婚式上司を呼ぶらしい。 新婦が結婚式上司を呼んでるのに、新郎が結婚式上司を呼ばないと、変に思われるから呼んで欲しい、と言われた。 正直、呼びたくない。というか、来れないのではないか。 上司にあたる人は、教授になるのだろうが、超多忙。俺は、素晴らしく業績挙げてる訳ではない。それでも雇っていただいて、深く感謝している。教授は、お金を取ってきて質的な問題にアタックし続けていて、研究者として尊敬できる人。 それなのに、大して業績挙げてないポスドクの俺が、超多忙なプロ研究者の時間を1日奪って、その上、金まで払うように頼むの?何それ。裏切りみたいじゃない。ボスの一日は、俺の結婚式の参加に使わせるより、研究に使った方が自分にも社会にも得になるってわかってるのに、なぜ、結婚式に呼ばなければならないのか。 今のポストは任期付

    任期付きポスドクだから結婚式にボス呼びたくない
  • オリンピック再開発で思い出の店が消えていく

    今から21年前の1996年の春。 田舎から上京し、恋愛に非常に疎いモッサい女子学生が、人生で初めて同級生から告白されて付き合うというシチュエーションに舞い上がり、 二つ返事で付き合い始めたものの、完全に知識も経験も不足していてどうしていいかわからず、日々言動がどんどん怪しくなり、 このままではイケない…と危機感を感じるも、解決策が見つからぬままその怪しさはダイレクトに相手にも伝わってしまうもので。 「なんか思っているのと違った」 と駅のホームで唐突に言われ、フラれた。わずか一ヶ月足らずの出来事だった。 キャンパスは五反田駅に近い場所にあり、要するに五反田駅でフラれたのである。 瞬時にぐわあっと逆上した私は 「なら簡単に好きとかいうなぁぁぁぁぁ バーカバーカ!!」 と捨て台詞を吐き捨て(実話)五反田駅を脱兎のごとく走り去った。 完全にダサかった。 五反田駅ガード下の立ちい寿司・都々井に失意

    オリンピック再開発で思い出の店が消えていく