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批評に関するmotowakaのブックマーク (3)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●両国のART TRACEで、シンポジウム「今、ここにある美術批評(誌)」。以下は、ぼくの感想というか、聞いていて勝手に考えたことであって、シンポジウムの内容の正確なレポートのようなものでは全くないです。 「批評」という言葉を使うことのめんどくささというのがあって、ぼくとしてはその言葉はなるべく使いたくないと思っているのだけど、星野太さんの発言を聞いてその理由がなんとなく分かった気がした。つまり、「批評」という言葉にはおおざっぱに言って二種類の意味がある、と。 例えば、ある状況があって、その状況に対して従来なされているもの、あるいは常識的なものとは異なる、新たな、刺激的な、創造的な、革命的な、そういうやり方で問い直しを行い、介入を試みることを「批評的な行為」と言うのだとすれば、それは至るところにあり、昔からあり、今もありつづける。そのような批評は遍在する。 しかしそれとは別に、日という場

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    motowaka
    motowaka 2013/09/29
    “制度のとしての批評の終焉は、人と人とが話しをする/ための土台、共通する問題意識や語彙の成立を、要するに価値の一般的基準(正しさ)の成立を、あるいは求心的な核のようなものの成立を、むつかしくする。”
  • 球根栽培法:「揺らぐ近代――日本画と洋画のはざまに」展 - livedoor Blog(ブログ)

    2007年01月27日 「揺らぐ近代――日画と洋画のはざまに」展 当方の2007年展覧会初めは、京都国立近代美術館にて開催中の「揺らぐ近代――日画と洋画のはざまに」展。昨年秋に東京国立近代美術館で行なわれていたのがこちらに巡回してきたもの。 近代日の絵画界隈において「日画」と「洋画(西洋画)」という二つのジャンルが存在してきたことはよく知られているところ。前者は日に伝統的に存在してきた画材や技法を使って描かれた絵画、後者は明治維新以後に欧米からやって来た画材や技法を使って描かれた油画と、さしあたりは定義できるだろう。で、この区分は、例えば美術大学の学科区分や、あるいは各種美術団体(日展とか)の部門分けなどで、現在でもなお厳然と存在するわけであるが、実際にこのような区分が、上記のごとき教育や制作-展示上のカテゴリーという実務的な分野において制度として確立したのは、19世紀末から20

    motowaka
    motowaka 2007/01/31
    ギャグかと思うようなところに本質があったような気がするんですけどねー。うーん・・・。
  • 球根栽培法:椹木野衣『美術に何が起こったか1992-2006』(国書刊行会) - livedoor Blog(ブログ)

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