三浦瑠麗氏 立憲議員の国会質問にあきれ「日本全体の議論の質を落としている」
大人気漫画『ベルセルク』が、24日発売の連載誌『ヤングアニマル』(白泉社)13号より連載が再開されることが発表された。作者の三浦建太郎さんが昨年5月に急性大動脈解離により54歳で亡くなったため、2021年9月の最新話掲載を最後に休載していたが、親交があった漫画家・森恒二氏が監修し、三浦さんの元で学んだスタッフが所属しているスタジオ我画が漫画を描く形で連載が再開する運びとなった。 【画像】親友に明かした最終回…編集部&森先生の『ベルセルク』メッセージ 連載再開の理由にヤングアニマル編集部は「三浦建太郎さんは生前、親友である漫画家・森恒二さんに、『ベルセルク』のストーリーやエピソードを話していました」とし、三浦さんが描いた構想メモとキャラクターデザインが見つかったこともあり、今後は親交の深い森氏が監修しながら連載すると報告。 「いま我々が持ち寄ったラストエピソード・最後の一コマまでを読んでほし
人気漫画『ONE PIECE』(ワンピース)が、27日発売の連載誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)30号より1ヶ月間(4号分)休載することが7日、公式ツイッター(@Eiichiro_Staff)で発表された。記念企画や原作の最終章に向けての準備期間の休載で、再開は7月25日発売の同誌34号となっている。 1997年7月22日より『週刊少年ジャンプ』で連載がスタートした同作は、伝説の海賊王・ゴール・D・ロジャーが残した“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”をめぐる海洋冒険ロマン。悪魔の実「ゴムゴムの実」を食べゴム人間となり、体がゴムのように伸びる特殊な能力を持った主人公の少年モンキー・D・ルフィが、仲間を集め海賊「麦わらの一味」を結成し、海賊王を目指す壮大なストーリー。 2019年に尾田氏は物語について「あと5年で終わる」と発表しており、昨年1月に連載1000話を迎えた際は「冒険はここへ来て、最
2022年6月6日に行われたサッカー日本代表対ブラジル代表の国際親善試合(国立競技場)でPKを献上したシーンに対して、元日本代表DF田中マルクス闘莉王氏は同日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新し、「僕からしたら全然PKじゃないな」と持論を述べた。 【画像】「全然PKじゃない」と述べる闘莉王氏 日本は後半、ペナルティエリア内からFWネイマールが打ったシュートをGK権田修一がセーブするも、こぼれ球に反応したMF遠藤航がFWリシャルリソンと接触。ブラジルにPKを与え、同32分にこれを沈めたネイマールの1点が決勝点となって0-1で敗れている。 ■「レフェリーのミステイクだな」 「『PKじゃない!あれで負けるのは悔しい』 日本、ブラジルに敗北も"誤審"に闘莉王激怒!」と題した動画を投稿した闘莉王氏は、今回の試合について「立ち上がりで日本のヒヤッとするシーンはあったんですけど、チャンスらしいチ
自然界では、まだまだ仰天の出来事が起きるようだ。 米フロリダ州中部のセントルーシー川の河口部で5月28日、大型のワニがオオメジロザメを追い回した挙げ句、サメが自ら陸に上がるという珍しい瞬間がカメラに捉えられた。そばで釣りをしていた男性が一部始終を目撃しており、カメラに収めた。 【写真】元ミス・グランド・ウクライナが軍隊入り! 実はセントルーシー川は「生態学の宝石」と呼ばれる川で、特に河口付近の汽水域には淡水と海水の生物が交ざり合い、イルカ、マナティ、ウミガメ、タツノオトシゴなど、約4000種の動植物が混在している。 フロリダ海洋学会のマーク・ペリー事務局長が地元メディアに、「今回はワニもサメも川の水系にいました。両種ともこの環境の中で生息していましたが、サメがワニに追われるという状況はかなり驚異的なことです」とコメントした。 写真を撮った男性は「よくここで釣りをしますが、こんな状況はまった
Published 2022/06/07 12:15 (JST) Updated 2022/06/07 12:29 (JST) がん治療を公表していた音楽家の坂本龍一さん(70)が、7日発売の文芸誌「新潮」7月号で、自身が「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした。新連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で、近年の活動や闘病生活を振り返った。 第1回の題名は「ガンと生きる」。ステージ4は、がんが最も進行した段階を指す。坂本さんは2014年に中咽頭がん、昨年1月に直腸がんの治療を公表。新潮社によると、連載では編集者の鈴木正文さんを聞き手として、主に09年以降の音楽活動や死生観を数回にわたって語るという。
ソニーの社長や会長を10年にわたって務め、IT時代を先取りして国際派の経営者として知られた出井伸之氏が今月2日、肝不全のため亡くなりました。84歳でした。 1960年にソニーに入社した出井氏は、1995年に大賀典雄氏のあとを受けて異例の14人抜きで社長に就任しました。 インターネットの可能性に早くから着目した出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、テレビやオーディオなどのものづくりから、ITをビジネスの中核にする戦略にかじを切りました。 テレビなどのハードウエアに映画や音楽などのソフトウエアを融合させたほか、「VAIO」ブランドでパソコン事業に再参入するなど、デジタル関連の事業を積極的に推し進め、10年にわたって社長やCEO、会長としてソニーの経営を担いました。 また、執行役員制度をいち早く取り入れるなど、コーポレートガバナンス=企業統治の改革にも積極的に取り組みまし
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