強くなければ生きていく資格がないという意味では過酷な話だな。 弱い人間はみんな死ねと。
あれを要約すると 努力すべし。 以外に読み取れなかったのは自分が読解力が無かったからなのでしょう。こういうステレオタイプな言動を行う事によって得られる効果という事を考えての深謀遠慮なのかもしれませんが、思いつかないのでストレートに受け取ります。努力すべし。なんて保守的で陳腐な言葉なのか。そりゃ、結局はそれしかないというこの世の真実なのかもしれませんが、それじゃあまりにもあんまりだ。時代の先端を駆け抜けようとする起業の人が、そこら辺の中小企業の人と同じ哲学、数多いる平凡な先生と同じような考えしかなかった事に。 あぁ、自分はこんな平凡な考えしかないんだということを見せつけて、誰でも起業なんてできるんだ、自分は特別じゃないといってみんなを元気づけようという狙いなのか。 まぁ、でも文章と人間はイコールでもないし、筆が滑るということもよくあるし、余り反応しても無意味なのかもしれない。これでやって来た
2006-03-04 ルワンダの悲劇から何か教訓めいたものを引き出すなら国際社会は二度とこのような殺戮を許してはならないと考えるはず。しかしわずか10年でダルフール危機のような大量殺戮が起こってしまった。まるで冗談のように繰り返される悲劇こそアフリカの現状と国際社会がパワーゲームの舞台で正常に機能していない事の証明だ。虐殺がなぜ起こるか解明するより先になぜ現在の危機に目を向けない。火事が目の前で起こっているのに消火しようとしないでなぜこの火事が起こったかを考えるなんて。言葉が空虚である事を証明したいのか、言葉への冒涜だ。ルワンダの悲劇を知ったなら最重要課題は再び似たような事を起こさない事であり、それなら現在も続いているダルフール危機を止めさせる事。スーダン政府に国際社会は圧力をかける事。ダルフール危機を知る事。何か良く分からなくてもダルフールで人が死んでいる事は良くない事だと表明する事だ。
自己実現しなくてはならないのか。少なくても昔の人はそんな事考えなかったわけで、それどころかその日その日を暮らしていくだけでした。立身出世とかも以外と最近の風潮で江戸時代なんか武士でも家の出所で決まってしまう出世コースですから最初から努力なんか無かったかもしれません。最近の夢は将来はとすぐ求める風潮はまぁ聞く方もそんな真剣ではないのですが。どんな社会が到来するか分からないのに夢も将来も計画する事は不可能。そういう仕事がこの先存在するかどうかも分からない。別にそれが不幸というわけでなく、どうなるか分からないというのは展開の分からないストーリーのようにドキドキものですがそれを楽しめなくなってしまっているのは精神が硬直していると思う。予め決まった社会もコースも無いのが当然でそういうのができてる社会は停滞しているのでいずれ崩壊は必然。どうなるかわからないは不安になることでなくて楽しい事なんだというの
理想の世界 - jkondoのはてなブログ 世の中の多くのものはありきたりでつまらないので、そういうものを周りにこぼしていける人はもっともっと中身を出して、世の中に少し色をつけてから死んで欲しいです。 世の中少しでも変えて楽しくしようよ。つまらない仕組みは少しでもなくそうよ。そういうことだと思う。
三つ子の魂百まで等ともいうけれど。本当に人間て変わらないものだと思う。変わる人は変わるだろうけどそれも今までの正反対とか元の自分からの繋がりはあるわけで。色々な経験があって考え方が影響される訳だけどそうすれば更に自分が補強される部分もある。自分に都合良く解釈してしまうのは弱い人間の常だけど誰にも逃れられない罠。自分の考えに合致すれば自分の考えは補強され違えば見識を広めた等と考える。だから変われないのか。これって性格。 自分はある見方をしてそういう世界の実現を夢見る。そういう立場は生まれながらいつの間にやら身に付いてしまってそこからは逃れられない。で自分が大事だからそういう性向をこれは使命かもしれないと勘違いしてしまう。人との違いを意識したら何も人と同じ見方をする必要はない。自分の考えが何がしかの代表を務めているような気がして持論を曲げない。それが自分。それが神に与えられた自分のキャラクター
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