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ブックマーク / www.keystoneforest.net (264)

  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から25日目です。柏井ビル倒壊の経緯をたどりました。 2月10日(金) 昨日から母が帰宅していた。二人で朝をとる。浴槽にためていたトイレ用の水が洗濯にほとんど使われてしまっていた。トイレが使えない。少し口論になる。 朝後、母は銀行へ住宅ローンの返済方法について訊きにいく。一年間ローンの支払いを停止してもらっても、結局利子分の約6万円は支払わなければならないとのこと、わざわざ銀行の担当の人が電話で説明してくださったが、結局返済方法は変更しないことにする。 濯ぎが残っている洗濯物の山を母の友人宅まで車で運ぶ。 一日休んだだけで、今日からまた次の仕事に出かける母を三宮(※中央区)まで送る。全壊した阪急三宮駅は半分取り崩されていた。阪急会館のスクリーンが外からのぞけた。母が

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    mraka2015 2021/02/10
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***24日目(2月9日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から24日目です。グリーンアリーナ神戸に行きました。 2月9日(木) 8時、湊川公園のテントに着いたが、Y根氏はもちろん、S谷氏も見当たらない。二人とも交代したようだ。しかたなく先に一人で公会堂に行ってみたがやはり気になる。もう一度公園に行こうとした時、新しいメンバーを見つける。今日からは、M井さんとF井さん。今までの四人より年長。ややおとなしそうな感じの人だ。 公会堂で来庁者の誘導を始めるが、今日は「連合」からの応援職員に仕事を引き継いでくれとのこと。大まかに説明し、9時半に引き上げる。その後、午前中は、総合運動公園に物資を取りにいくトラックに同乗する。初めて見るグリーンアリーナは、救援物資が山のように積まれていた。ここが市西部への配送拠点の一つになっているらしい。

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    mraka2015 2021/02/09
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***23日目(2月8日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から23目です。 2月8日(水) きのうは遅くまで『菜の花の沖』(※司馬遼太郎)を読んでいて、今朝も目が覚めてからすぐに続きを読み始めた。そのせいで布団から出たのは9時半を過ぎていた。 午前中に南蛮美術館へ行く約束だったので、朝をとらずに出かける。10時に車で出発。三宮を越えるのにやはり時間がかかった。約40分後、新神戸OPA(※中央区、新神戸オリエンタルシティ)前を通る。ふいに、そこにある書店でを見てみたくなり、車をパーキングへ入れる。ついでに久しぶりに銀行へ立ち寄り、3万円引き出す。 書店は営業していたが、見たかったはなかった。職場に向かう。2週間ぶりだ。 とりあえず近況報告を済ませ、K芝先生と昼に外出する。K芝先生は、今日はそのために弁当なしにしていたよう

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    mraka2015 2021/02/08
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***22日目(2月7日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から22日目です。り災証明書もらう。 2月7日(火) 8時前、湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)のテントに集合。8時半業務開始。申し込みに来た一人一人に住所を尋ね、窓口まで案内する。ほとんどトラブルになることははなく、淡々と仕事が進む。 被災の程度を軽く判定された人が大声を出したり、足元にハンカチが落ちていたので「落とされたんじゃないですか」と声をかけると、「こんなんワシのんちゃうわい!」とわざわざ足で蹴っ飛ばすおっさんがいたりして、ちょっとカチンときたが、それくらいだった。 立ちっぱなしなのがけっこうきつかった。 18時頃、受付がほぼ終了した段階で、個人的なことで申し訳ありませんが、と僕個人の被災状況について尋ねてみる。僕の家は「半壊」と記されてあった。後日申請に

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    mraka2015 2021/02/07
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***21日目(2月6日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から21日目です。 2月6日(月) 今日から、罹災届け・義援金申し込みの受付業務に変更になるので、明けの日だったが新しい仕事内容の確認のために出勤した。仕事は公会堂内で申し込みに来た人を誘導する係だった。来庁者は多かったが、それほど複雑ではない。 仕事の内容を確認すると、9時すぎに区役所を出る。郵便局で郵便物を受け取り、帰りにローソンで昼を仕入れる。昼間から飲むつもりだった。帰ると玄関の前でポチと目が会った。ドアを開けるとポチはいそいそと僕より先に家に入っていく。しばらくポチを膝に乗せ、味醂干しをやる。 その後は、僕の事に付き合わせることにした。2階まで呼ぶとポチは敷いたままにしていた僕の布団をよけて、おそるおそるという感じで部屋に入ってきた。僕は焼きそば、ポチには

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    mraka2015 2021/02/06
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***20日目(2月5日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から20日目です。 2月5日(日) 7時50分出勤。9時より家屋解体撤去申請の受付業務。かなり来庁者は少なくなってきたが、落ち着いてきたせいかかえっていろんな質問を受ける。こんなに困ってるんだから優先して欲しい、特別扱いして欲しい、、、自分だけが被災者、みたいな感覚の人がいる。市職員間の仲もいくらかぎくしゃくしてきた。ストレスのせいか。 I谷課長は、応援職員と区職員との関係をいろいろ気にしているが、どうもうまくいってないようだ。応援職員に対する待遇の悪さが原因の一つになっているとも思う。 夕方になって、部の引っ越しが始まる。区役所地下の公会堂から湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)に作られたバラックへと移る。かなり冷える。引っ越し終了後、夕をとって、帰宅。 東山小

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    mraka2015 2021/02/05
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から19日目です。郵便届く。 2月4日(土) きのうは泊まらずに済んだので、今日は朝から休み。 昼頃、ドアを開けると、ポチが我が物顔に入って来る。ポチはしばらく前から近所を縄張りにしているらしい野良(たぶん)。丸々太っていて、愛想がいい。名前は僕が勝手に付けた。 昼用に焼いていたイワシの干物をやる。僕はその横で遅い昼をとった。 夕方近く、弟からお風呂においでの電話がかかる。 20時過ぎに家を出る。でがけにポストを見るとM代(※前任校での教え子)から手紙が来ていた。 久しぶりに国道2号線を走る。緊急車両専用らしき車線を前の車に続いて入って行くと、なんとなく走れてしまった。お風呂を借りて、少し雑談。粕汁をごちそうになる。 22時半頃玉津(※西区、弟の自宅近く)を出て、

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    mraka2015 2021/02/04
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から18日目です。解体撤去申請の受付業務を担当する。 2月3日(金) 6時半起床。7時50分区役所到着。8時45分より区役所4階で、倒壊家屋の解体撤去申請の受付業務。申請者の数は前より少しずつ減ってきた様子。 定時に昼をとり、午後の一人目の応対が済んで次を待っていると、別の作業を頼まれた。申請書のコピーをとれとのこと。それから午後の時間帯はその作業で埋まる。これまでに受け付けた約1500人分の申請書のコピーをとった。その間、Y根氏(※庁からの応援職員)は、解体の順番を早めて欲しいと言ってきた人と口論になる。 午後5時頃、受け付けは終了するが、その後もコピーと仕分け作業が続く。6時45分、ようやくすべてが終わり、公会堂(※兵庫区役所地階)に降りて夕をとる。 今日は泊

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    mraka2015 2021/02/03
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***17日目(2月2日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から17日目です。 2月2日(木) 夜勤明けの日。 朝、弟より電話をもらう。お風呂においで、とのお誘いだった。せっかくだけど、どうしようもなく眠いので断る。今は風呂よりじっくり休みたかった。電話を切って、さらに寝る。ぐっすり眠る。 13時半、目がさめ、昼をとる。 昼後、また眠る。 これまで何度か日記を付けたことはある。数年続いたこともある。でも、何かの拍子で途切れてしまっていた。今回のことは、これまでとはまた別の意味で記録しておかないといけない、という気がしている。昨日までの分を、メモを元にまとめて書く。かなり忘れかけている。 ※この日の日記を読むと、あの日からの出来事を17日経った2月2日になってようやく文章にまとめたようです。パソコンで書きました。ですので、この

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    mraka2015 2021/02/02
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***16日目(2月1日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から16日目です。 2月1日(水) 企画の他の二人、メンバーが代わる。Y根氏とS谷氏に。終日、倒壊家屋の解体撤去の受付事務を手伝う。 5時半終了、夕後帰ってよいとのこと。 二年前、中一の時担任をした教え子のM代から電話。西神ニュータウンの病院に入院したとのこと。 彼女は震災当時、長田区の西市民病院に入院していて被災した。病院は五階部分が押し潰された。年末に見舞った時、彼女の病室は三階にあったと思う。 #山        M*I00*04 95/02/01 22:55 題名:ありがとうございました 屋辺 様 昨日は暖かいお風呂と、暖かい料理、 暖かい会話をありがとうございました。 心まですっかり暖まりました。 今日は泊まりの予定が変更になり、 夜は自宅で寝ることができ

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    mraka2015 2021/02/01
  • コロナ禍の墓参。 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート30 - 森の奥へ

    わたしの父は56歳で亡くなりました。 脳腫瘍でした。 亡くなる2年前に病気が分かり手術をしましたが、1年後に再発、その後、回復することなく逝きました。 父が亡くなった当時わたしは28歳、孫の顔どころか、わたしの奥さんの顔も見てもらえないままの別れでした。 墓は父の生まれ育った山に建てました。兵庫県の山間の地です。墓からは父の生家があった場所や田んぼが望めます(農道が整備されたため、父が知っていた景色とは全然違ってしまってはいますが、、、)。 写真は父の墓の前から撮りました。映っているのは父の墓ではありません、、、(^^; 墓がある山までは、わたしが住んでいる神戸から車で2時間半ほどかかります。頻繁に訪れるには少し遠い距離です。 年に一、二度くらい会いに行っていましたが、2020年はコロナを言い訳にして一度も墓に参りませんでした。 下のリンクは、3年前の墓参のことを書いた記事です。 www.

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    mraka2015 2021/01/31
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***14日目(1月30日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から14日目です。 1月30日(月) 朝から湊川公園でカセットコンロの配布、4000人ほど集まる。 午後はあまり仕事がなく、時間をもてあます。 夜9時、M上氏と帰る。彼は明石在住。神戸駅まで送る。今日、姫路方面から神戸駅までJRが運転を再開したところだ。 彼の自宅は、揺れはしたが、ほとんど被害はなく、家に帰れば、電気・ガス・水道と、何不自由なく使えるという。震災前とまったく変わらない普通の生活の場から、電車に乗って、被災地へ仕事に来る。話を聞くだけでも妙な気分になってくる。 屋辺氏に電話する。明日お風呂においでとのこと。 先日京増氏へ送ったメールに返事が届いていた。 京増 弘志    S*I00*85 95/01/30 16:24 題名:メールありがとうございました.

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    mraka2015 2021/01/30
  • 満月の夜の雪 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート29 - 森の奥へ

    去年の暮れのこと、神戸の街に雪が降りました。しんしん降った雪はうっすら積もりました。満月の夜でした。 満月の夜の雪。梢の葉に積もりました。積もった雪を月明かりは溶かせたでしょうか。 12月の満月をネイティブインディアンの人たちは「コールドムーン(Cold Moon)」と呼ぶのだそうです。 満月の夕、それはそれは寒い夜でした。 ちなみに、今夜、1月の満月はWolf Moon(狼月)と呼ぶそうです。 あの日の夜も満月でした。満月に向かって神戸の街は燃えました。 満月の夕 [ライヴ 1999] ソウル・フラワー・モノノケ・サミット オルタナティブ ¥306 あの日の出来事は、人の生死は偶然の積み重ねでしかない、とはっきりと教えてくれました。けれど、生き方は選ぶことができる。そう思います。 残されたわたしたちは、震災のあれこれを思い出すこと、思い続けること、語ること、語り続けること、そして、命の意

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    mraka2015 2021/01/29
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から12日目です。 1月28日(土) 朝、母と一緒に出勤。 午前中、家屋調査、午後は公会堂で待機。区の職員は公会堂内に電話を引き込み、救援物資の在庫に合わせて、避難者へ配給する弁当やサンドイッチの手配に追われている。あちらこちらに物資を詰めた段ボール箱が積まれており、どこに何が入っているか、どれが新しくてどれが古いか、何度か確認する。 夜、庁(※神戸市役所)からの呼び出しで、Y田さん帰る。 待機の時間を利用して、おそらく係長試験の勉強をしているらしい職員もいる。来の仕事があり、ここでの仕事があり、将来のことがあり、大変だ。 深夜1時頃物資の搬入があり、その後は読みかけのを2時頃まで読む。この日は文庫を二冊読み終える。読後もなかなか寝付けない。 当時、神戸市兵庫区へ

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    mraka2015 2021/01/28
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から11日目です。 1月27日(金) 初日の24時間が終わる。朝帰宅。 夜、屋辺さんから電話をもらう。 ニフティサーブ、京増氏にメールを書くことを思い立つ。 #山        M*I00*04 95/01/27 21:55 題名:はじめまして ニフティに接続して初めて届いたメールが 京増氏からでした。 電話とも違うし、手紙とも違う、 とっても不思議な感覚を味わいました。 その後、大学の先輩からの年賀状の隅に IDが書かれているのに気付き、 その返事に僕のIDを書き添えました。 そして数日後、メールが届きました。 「メールが届いています。(未読分一通)」 このメッセージには未だに心時めくものがあります。 京増氏が2通目のメールを送信されたのは1月17日。 その日の早朝

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    mraka2015 2021/01/27
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***10日目(1月26日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から10日目です。 1月26日(木) 日より24時間勤務が始まる。 午前中、区役所横の保健所に避難している人にパンと栄養ドリンクを配る。一人のおばあちゃんに、風邪気味なのでドリンクをもう一もらえないか、と頼まれる。数はほぼ人数分しかない。ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃんに飲んでもらいたいけど、そうしたら当たらへん人がでてくるねん、とあきらめてもらう。これでよかったんだろうか。 昼からは湊川公園で救援物資の配布をする。仕事は警備係。順番を待つ人の行列は思ったほど乱れることはなかった。 夜、何度か物資の搬入を手伝う。ペットボトルの飲料にカップ麺、ジャケット、ティッシュペーパー、毛布など。 仮眠場所は区役所の地階にある公会堂。それほど寒さは感じなかったが、気分が高まっ

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    mraka2015 2021/01/26
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***9日目(1月25日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から9日目です。この日から兵庫区役所への応援出務となりました。 1月25日(水) 日より兵庫区役所に出務。家から歩いて5分だ。9時区役所に集合。地震後の交通手段が寸断された中で、歩いて通勤できるこの環境は恵まれすぎ、というしかない。 南蛮美術館(※中央区、来の勤務地)は市の総務局(※仮称です)の一部署なので、僕も身分上はその所属になっている。その総務局から兵庫区役所に派遣された応援職員は、(N芝、Y田、M上、わたし)チームと、(Y村、T井、T田、D東)チームの二班に分かれる。この二班で24時間交替。係長のN芝さん以外は二十代から三十前後くらいか。他のメンバーはみんな庁(※市役所)の職員なので、面識のある人はいない(※わたしの勤務地・南蛮美術館は庁からの出先機関で

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    mraka2015 2021/01/25
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***8日目(1月24日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から8日目です。やっとお風呂に入れました。 1月24日(火) 10時すぎに自転車で出勤する。K芝先生よりカセットボンベの差し入れ。南蛮美術館の後片付けをする。 戦前に建てられた旧館も含めて、建物には被害はほとんどなかったが、書棚が倒れたり、書架にあった図書類が散乱したりしたようだ。 美術館はしばらく休館。僕は明日から兵庫区役所に応援出務となる。 夜、再びN村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話があり、10時頃、D先生(※前任校の同僚)も誘い母と三人でN村先生邸に伺う。浴槽に浸かるのは、一週間ぶりだ。 震災直後の被災地でのお風呂事情です。震災直後にはべ物が、数日後には暖かい事が、そして一週間後には入浴が必要とされました。 同じ神戸市内でも、市の北部(北区)や西部(垂

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    mraka2015 2021/01/24
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***7日目(1月23日)*** - 森の奥へ

    1月23日(月) 母に友人から電話があり、昼べに外出する。 少し近所を歩いてみる。焼け跡を通る。案外家から離れていなかった。まだ焦げ臭い匂いが辺りに立ちこめている。 前に住んでいた松通(※兵庫区、当時住んでいた家からは歩いて数分の距離)の家は、路地を挟んだ向いの家まで、が焼け、住んでいた家自体も壁が煤で真っ黒になっていた。 K芝先生(※職場の同僚、先輩)より電話、何か欲しいものはないか、と訊かれ、カセットボンベをお願いする。 夜遅く、姫路より伯父(※母の兄)、あっちゃん(※その娘)、りゅうくん(※孫)の三人が、車で救援物資を持ってかけつけてくれる。 近所の被災の様子よりも、小学生のりゅうくんは僕の部屋のパソコンに強い興味を示す。りゅうくんはすぐになついてくれる。膝にだっこして一緒にパソコンのゲームで遊ぶ。帰る時、少し泣かれて、こっちまでつらくなる(※震災の数年後に伯父は亡くなりまし

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    mraka2015 2021/01/23
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***6日目(1月22日)*** - 森の奥へ

    1月22日(日) 小雨の中、宏兄ちゃん帰る。 家の近くで、バイクでやってきたD先生(※前任校の同僚)と出会う。僕の被災の状況を訊ねに来てもらったようだ。D先生の板宿(※須磨区)のアパートも被災。かなりひどいらしい。 M田氏(※南蛮美術館の同僚、行政職)より電話、火曜日に出勤して欲しいとのこと。 N村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話、N村先生の家は西区にあり、被害はほとんどないとのこと。お風呂に誘ってもらう。 パソコン通信復旧。 トイレを流すのに使っていた浴槽の水が、もう残り少なくなってきた(※水はまだしばらく復旧しなくて、トイレを流すにはタンクに水を補給しないといけませんでした。お風呂のお湯を流してしまわず、翌日まで残すようにしていたので、震災時はその残り湯が役に立ちました。気にせずにトイレを使えるということ、これだけでもどれだけ助かったことか、、、)。 * ATD0792****

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    mraka2015 2021/01/22