ド級、その略称でである接頭辞「ド」は、20世紀初頭の英国軍艦ドレッドノートに匹敵する戦力を意味する「ドレッドノート級」から来ている。 第一次大戦後の日英米海軍軍縮交渉から人口に膾炙するようになった言葉だ。 しかし今やそのことを知る人もほとんどおらず、ただ言葉の響きがなんかすごいからド、ド級、超ド級と呼ばれるようになって久しい。 嘆かわしい。 言葉の乱れとはこのことだ。 言葉の乱れは文化の乱れ、ちゃんと由来のわかる言葉を使おうではないか。 ドはちゃんとドレッドノート級と言おうではないか。 例) ド田舎→ドレッドノート級辺鄙 ドすけべ→ドレッドノート級スキモノ ドM→ドレッドノート級被虐趣味 ド左衛門→ドレッドノート級水死体
イオンで1日2回あるこの世界の片隅にの上映を毎日同じ席で見てる人が4人くらい予約画面で確認出来て怖い
久しぶりに残業もなく7時前に家についた。 スマホ片手にコンビニ弁当を食らい、エロ動画探す。 今日は時間もあるし何より気分がいい。 最近ハマっている「素股」系の動画をあさり、素股が失敗する時までじっくり待つことにした。 テンションの高い男女が、和気藹々と素股を始める様子は、演技と分かっていても俺の心を躍らせる。 振り返ってみると、俺はそのあたりから妄想の世界にトリップしていたと思う。 あの時、彼女に声を掛けていれば。 あの時、勇気を出していれば。 今もこの世界のどこかできっと素敵に生きる彼女と。 まぁ、素股ができるなんて微塵も思っちゃいない。 性的な関係ではなく、温かい交流を続けていたかった。 寂しいとき、辛いとき、会話を交わせる仲でいたかった。 誰かと家族になりたかった。 一人は寂しい。 30を過ぎてから、そんな気持ちに悩まされる。 「え、入ってる?!ちょっとぉ、やめ。だからっ、入ってるっ
寝てる時舌の付け根にひっついてングング遊んじゃうし 風邪引いた時なんか睡眠時以外も無呼吸症候群みたいにフゴオッて息つまるし レーザーで焼くかなんかした方がいいのかな
獣の王者…ライオン 鳥の王者…ワシ 魚の王者…サメ 虫の王者…カブトムシ 誰がいちばん強いのか。
痒みでなんか仕事が手につかない。 人目があるとかけないから我慢してばっかりでそっちにしか気がいかない。 かゆくてチンチンのこと嫌いになりそうなんですけど、切り落としたら誰かもらってくれますか。ゆでこぼしてポン酢がおすすめかと…
パソコンで作業していると、英字を打とうとして日本語を打ったり、その逆だったりということを頻繁にやってしまう。 急いでいるときほど、指が勝手に動くので後戻りが大きい。 数えたことは無いが、日に10回以上はやっているのではないだろうか。 他の人が操作している所を見ると、やはり同じくらいの頻度でやっている。自分が特に慌てん坊というわけではないようだ。 たまにメッセンジャーに「 ryoukaidesu 」などと流れてくることもある。 自分も彼らも、10年も20年もパソコンを使っている人たちだ。 そういう人でも誤操作が多いということは、日本語入力の切替操作(半角/全角 キー)に欠陥があるってことだ。 AIでなんとかしてほしい。
私はオタクで消費するだけのタイプだ。 ツイッターすらROMだ。 引きこもり気質でイベントなるものに行けるはずもない。 何も生み出さないので誰にも認めてもらえない。 創作をしていなくても褒めて欲しい、あと同志とコミュニケーションをとってみたい。 ファンです、と話しかければいいのかも知れないが、拗らせている。 病気かと思うほど、いろいろ拗らせている。 承認欲求というのだろうか、とにかく寂しい。 構ってちゃんと化してはや数年…いまや他人様に迷惑はかけない常識がある。 そんな私のマイブームは、ツイッターで匿名の感想を送ることだ。 これが最高なのだ、もう病みつきである。 何せ、相手に喜ばれる。 私ごときが送る拙い感想で人が喜ぶさまを見ることが出来るのだ。 これが最高でなくて何が最高なのだ、という心地である。 世間には感想をもらえず創作活動を辞める人もいるらしい。 趣味を続けるも辞めるも個人の自由だが
ゴールデンウィークの後半初日。 超イイ天気の中、資料の撮影にスタッフである場所へ。 その後はひたすらデスクワーク。気付いたらもう天辺… 24時だってんで休憩がてら制作日誌書いてます。 スタッフとロケから戻ってきて、カフェにて休憩。 カフェ。展示物をチェンジした後のギャラリー。 もっぱら買い物も行けず、映画館にも足を運べない日々ですが、 読む時間も観る時間もないのに、本とDVDは増える一方。 高円寺はマニアックな本屋やレコード屋も多いので ご飯ついで10分立ち寄るのも気分転換にもなって最高です。 で、最近のお気に入りの本を一冊ご紹介。 『レコード・バイヤーズ・ダイアリー』 link@amazon link@紀伊国屋 久々に燃えた。 中古レコ屋の内門氏がただただ海外に行ってレコードを買いまくる、 ただただそれだけのドキュメントなんだけど、 なんていうのかな、ロマンかなあ、熱くなったね。 タイト
って、言われてた理由がわかってしまった37歳です。 28歳の後輩が言う仕事への苦情とかがなにもかもありきたりで、昔似たようなことを自分もいってたけど結局自分のが間違ってたって知ってて、 あー、今時の若いもんは、というか若いもんはたいしたことねぇなー と思う。 思うだけではだめでこれを上手く伝える方法ないかな。と、思うけど当時の若い自分は聞く耳ほぼなかったので、困ったな。 聞く耳ないと俺みたいになるぞ、が的確なのだけど説得力にも欠けるしな。
ふと物心ついたときから、誕生日の何がめでたいのかわからなくなった。もしくは最初から分からなかったのかもしれない。 誕生日おめでとう、といろんな人に言われてきた。言われて嬉しかったのは確かだが、それはそういう言葉を掛けてくれる関係であることが確認できて嬉しかっただけである。 調べれば、似たような意見で「誕生日なんて、老化への現れなのに何が嬉しいのかわからない!」というものがあるが、それは嬉しくない理由である。 増田でも、知らない人に対して「おめでとう」と言葉をかけてる場面を何度か目にしたことがある。だから、誕生日の何がめでたいのか説明してはくれないだろうか。 って誰も答えてくれないじゃん、死ぬ直前にわかればいいか
今日が自分の誕生日だって本気で忘れていたよ 年取って、子どもも生まれ(今2歳のかわいい盛り)時間の経つのがなんだか早い 自分が思っているのより、うんと早い 23~4歳くらいから、自分が思うより実際の時間の進みのほうが早くって もはや実年齢と精神上の年齢に10年以上のズレを感じる 日付が変わった頃に、LINEなんかで「誕生日おめでとう!」って連絡をくれていた彼は 今ではウチの立派なお父さんなので、今日がわたしの誕生日だなんてことはもう忘れてしまっていて 当の本人ですら忘れているのだから、当然のこととも思える 意地悪して、今日が終わる寸前に「今日誕生日だったんだけどな」なんて言うくらいなら 今から「忘れてたけど今日誕生日だったわw」ってLINEしようかと思うよ
漫画やアニメで一定のファンが付くって事はドラマでもそういうのあっていいじゃないっすか 全然なくないっすか
オタクがよく使う言葉に、n番煎じという言葉がある。「n番煎じですが、書きたかったので書きました!」といったような感じで、おもにネタかぶりへの配慮を兵源するのに使われる。これは「二番煎じ」から派生したスラングで、「何番目かすらわかんないくらいとにかく大きな数字」として「n」が使われている。ここからさらに派生して、「n」という言葉は「とにかく大きな数字」として使われている。「キンプリが好きすぎてn回も見たわ」「わらびもち旨すぎ。n個食べたい」のような感じ。 私見だが、この「n」というのは、たぶん高校で習う数学的帰納法のイメージからきてるんじゃないかなと思う。1、2、3、………n……というような表現をよくやるので「n」というのが「漠然と大きめの数字」として共有されたんだと思う。ここまで読んで変なのと思った人は多いと思うが、元ネタ?の「n」は任意の数であって任意の大きな数字ではない。だからなんか、
遊戯王の信者はとにかくマナーが悪い。 自分が把握してる範囲でも、 対スタッフ殺害予告、自殺教唆、死ね殺すなどの人格攻撃、 監督の家族への誹謗中傷(お前の息子はレイプ犯の息子など)、 人格攻撃した方を擁護、 対アニメ作品、他の視聴者ゼアルを少しでも批判されたら死ね殺す病気池沼などの人格攻撃、 気に入らない意見や感想をスクショで晒す、個人ブログへの集団凸、 ARC-Vはクソアニメなので5D’sもクソアニメなど他シリーズを巻き込んでのARC-V叩き、 鉄血とARC-Vを叩くための動画をニコニコ動画に何本も投稿など他作品を巻き込んでのARC-V叩き、 自分たちのマナーの悪さを指摘されたら「信者なんて見たことない」や「それはこのシリーズの評判を下げるためにやってるアンチの工作」で誤魔化す、 自分から他のファンの気持ちを逆なでするようなことを言って批判されたら被害者面、 小野キッズ(小野勝巳監督の信者
◆はじめにこれは私の個人的な考察である。 世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。 オタク・陰キャ・非リアなどと呼ばれる人々と、それ以外だ。 後者は前者と対比して、ウェイだの陽キャだのリア充だのと呼ばれてきた。 さらに、最近のネットではもっと乱暴に「社会不適合者/健常者」という呼称で区別されることもある。 今やオタクとは「ある分野に異常に詳しい人」とか「趣味に異常に没頭している人」といった意味を超え、 「ある種のコミュニケーション・行動を示す者」全般を指すようになったのではないか、と私は考える。 そして恐らく、陰キャや非リアと呼ばれる人々もまた、この特有のパターンを共有している集団の別名に過ぎないのではないか。 彼ら特有の言動の根底にあるもの、それは「コンテンツ主義」である。 ◆「コンテンツ主義者」と「雰囲気主義」オタクのコミュニケーションや行動は、「コンテンツ」に重きを置いたものである
カランコロンカラン~ いらっしゃいませ。 バーテンのその言葉に私はカウンターの席に座った。 入り口入ってすぐ右側奥の席。 ここが私のお気に入りの場所よ。 お店全体が見渡せて面白くて、 誰も座ってなかったらいつもここに座るの。 スーパー・ブルー・ブラッドムーンをちょうだい。 私はそう注文すると そんなのありません、とまるで愛想の無いRPGの村の入り口に立っている、 ここはアリアハンだよとしかしゃべらない村人のように思えた。 やれやれというジェスチャーのバーテンをよそに 私は再び、 スーパー・ブルー・ブラッドムーンをちょうだいと頼んだ。 バーテンは再びやれやれと言った表情で、 カクテルを作り始めた。 出てきたカクテルは それはもう珍しいぐらい月に二回ある満月が青いのか赤いのか分からないくらい綺麗な色のカクテルだった。 そしてすっと一緒に出てきた海苔巻きを一緒に食べる。 最近はバーでも海苔巻きが
マツコデラックスさんをテレビで見たりすると、 なんかデラックス幕の内弁当を食べたくなります。 不思議ね。 おはようございます! 最近ちょっとだけわかり始めたことがあって、 そう! 幕の内弁当の存在価値よ! あれって最初何も特徴も無くパッとしない、 ただただ主役級になれないおかず達のオンパレード・イン・ザ・ランチボックス! そう思ってたんだけど、 今じゃ逆に、 色々なものが入っていて美味しくて楽しいわね!って ガラリと全私の中で評価が変わってきたわ! 映画評論家の今は亡き淀川長治さんが たくさんの映画を見る理由は、 何度でも観たいと思う映画を見付けるためって言ってたのよね。 まさにそれの弁当版。 幕の内は何度でも食べたいお弁当なのよね。 そう思ったわ。 深いわね。 昔からあるそういうつまらないそうなものも一見地味に見えるけど、 普遍的で確立されているって事なのね。 そう思いテンションが上がっ
前置き:自分はディズニーファン。 ポプテピピック第五話の絵コンテの一部?が作画監督のTwitterで公開されて、「ついにこのネタをやる日がきたのか」と思った。 ポプテピ原作では、今回の「蒸気船ウィリー」のパロディの回はポプテピピックがリプライ画像用以外で名実ともに有名になってきた時期の回だったと記憶している。 その当時も、「やべえwww」「D社に消される!」みたいな感想をよく見かけた。 結論から言うと、蒸気船ウィリー自体はすでにパブリックドメインとなっているためミッキーマウスそのものの商標を除けば(基本的に)問題はない。 で、今回の蒸気船ウィリーパロディのアニメ。 プニキを含めて差し替えを食らった、という演出ありきの構成だった。 とてもがっかりしている。 nice boatのネタと引っ掛けたかったのか、蒸気船ウィリーのパロディは「圧力でなかったことにされた」となっていた。 正直、ポプテピピ
「つまらなかった」と感じたら「あの時のツイッターの盛り上がりを知らないからそう感じるんだろ」と言われそうだし、 「面白かった」と感じたとしても「あの時のツイッターの盛り上がりに参加できなかったのに?」って言われそう。 そう考えると「SNSでのムーブメント」込みが評価につながるって、ほんと糞だなーと思うわけよ。 いや、当時大ブームだったり当時は革新的だったというのが評価として繋がるのはいいと思うよ。 でも、ポプテピピックって一年後、下手したら半年後にはそう言われそうなほどにムーブメントに参加してたことへの意義が唱えられてるじゃん。 「SNSでの盛り上がりも含めて面白い作品だよね」という感想が自然と目に入ってくるほどに言われてると思う。 なんでこんなこと思ったかというと、率直に、自分はまだポプテピピックのアニメを見てないからなんだけど、 ポプテピピックのマンガは読んだ身として、マンガは数年後に
仏教では人の世の苦悩として生老病死という言葉があるけど 生病死はよく見るけど老いをちゃんと描いたアニメってあまり思いつかない アニメ以外だけど映画ザボーガーで主人公が糖尿病患ってたのは面白かったしよかったと思う ※トラバだけで云々は自分のものではありません
私はデレステの新規の関ちゃんPで、モバマスはやってない デレステを始めた時、最初のガチャで出てきたのが関ちゃんだった しかめっ面だけどおでこが可愛くて、コミュを読んでみようと思った コミュを読んだら、関ちゃんに「大丈夫だよ、関ちゃん可愛いよ!大好きだよ!」って伝えたくて仕方なくなった 関ちゃんが愛しくて、関ちゃんを支えたくて、どうしようもなかった 「これが、Pの気持ち…!!」って雷に打たれたみたいだった 去年関ちゃんに声がついて、関ちゃんが大きな一歩を踏み出したのがわかった 「関ちゃんが生きてる。関ちゃんがアイドルとして成長してる!!」って強く思った 声あり声なしの違いをやっと理解した モバマスからがんばってくれた関ちゃんPさんたちを尊敬してるし、本当に感謝してる 先輩Pさんたちのおかげで関ちゃんは羽ばたけたんだと思う。本当にありがとう。 でもデレステを教えてくれた友人Pの担当には声がつい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く