ザ・ドリフターズ 志村けん フジファブリック 志村正彦(故人) 最上氏の家臣 志村光安(故人) NPBの9球団がスカウト 志村亮 (元慶大野球部) 七人の侍 志村喬 (故人) もうないだろ、さすがに・・・
今回の騒動でハッキリと確信した。VTuberの中の人を公表すべきではないという風潮は一刻も早く取り除くべきである。 視聴層が「中の人を公表するな」と言うことには害悪しかない。中の人に対して「実績を公表するな。お前はずっとそのキャラクターでいろ」と言ってるようなものだ。 中の人を公表せずにやるというならば専属契約を結び十分な報酬を渡すなどすべきだと思う。VTuberの中の人がプロ野球球団などのマスコットの中の人などのような存在まで押し上げられるならばそれも可能だろう。おそらくキズナアイなどの大手の企業系はそういう契約になっているんじゃないかと信じたい。22/7やバーチャルジャニーズに「中の人公開するとかVTuberであるメリットを何もわかってない」という批判があるが、この風潮を変えられるよう頑張ってほしいと思う。
時間の制約上、1人の人間が一生にうちに経験できることは限られる。それならば短時間で実際の経験に似た仮想的な経験をたくさんした方が良いのではないだろうか。 実は子供の頃にそんなことを考えて親に話したことがあるが「リアルとバーチャルは違う」と笑われ取り合ってもらえなかった。しかし、大人になってこのアイデアを改めて考えてみると荒唐無稽な話だとも言い切れない。 そもそも人間は現実と仮想の違いをどこまで認識できているのか。仮想世界の中に現実の要素が含まれていればそれは現実と言っても良いのではないか。もちろん、気の力で空を飛び、かめはめ波を打つような真似ができるとは思っていない。だが物語の登場人物の心理や行動を見ることで人生を学ぶことは可能だ。 現実世界でリアルな経験ができればそれに越したことはないが、多くの経験はバーチャルで十分だと思う。
私は、名もなき1人のオタクである。最近ある悩みで苦しんでいるので、整理するためにここへ記そうと思う。長いぞ。 私は普段、アニメ、イラスト、漫画、ノベル、ゲーム、音楽、動画、等など様々なオタク的コンテンツを楽しんでいる。が、それらを自分で作ることが出来ないのだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、私はそこに強いコンプレックスを感じている。 コンテンツには絶対に作り手がいる。そりゃそうだ。作る人がいなければ、何も生まれない。 さらに、オタクの世界には「ファンアート(二次創作)」という文化がある。自分はこれが好きですよ、とハマっている作品のキャラクターを描いたり、そのキャラの登場する小説を書いたり、動画を作ったりすることだ。オタクをしていると、それらを目にする機会がとても多い。上手い下手はともかく、全てのオタクが何らかの創作活動をしているのではないかと思ってしまう程度には多い。オタクは、オ
去年からはじめた個人勢でようやく収益化ラインを超えるぐらいのピコ手 隠れてやっている理由はなんとなく自分だけの趣味が欲しかったから 特に不仲だとかそういうわけではなく興味本位というのもある 生声だともちろん夫にバレてしまうのでボイスチェンジャーを使っている ローランドのVT-4というやつで声を加工して私だとわからないようにしている これの設定をするにあたって先達の男性Vtuberの動画をたくさん参考にした VT-4という機械があることを知ったのも彼らの動画からだった でも声だけ作り込んでもバレるかもしれないと心配だったのでキャラも作り込んだ 私生活の話でボロが出ないように素の私とは程遠いキャラを設定した このキャラ作りというやつの意義は思った以上に大きくて何度もそれに助けられた 視聴者とのふれあいの中での誘導尋問的な質問も上手くいなすことができた そして何かを演じるというのは思った以上に楽
ここに食べられる寸前の皿に盛られた豆腐がある それから醤油をかけたいけど立ち上がって醤油を取りに行くのめんどくさいなって俺の心がある そして手を伸ばせば届く範囲にソースがある
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