(本記事は、岡崎大輔氏の著書『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』SBクリエイティブ、2018年9月20日刊の中から一部を抜粋・編集しています) 私がある企業で行った研修の参加者から、内容そのものではなく研修の形式について、以下のようなコメントをいただいたことがあります。 「講師の方が全然『自己主張』をしてこない講義は初めてでした。それでも内容は覚えているし、お顔も覚えています。すべてを受け入れてくれるような感じがありがたかったです」 「何かを『教わる』のではなく『学ぶ』という感覚を、久々に味わうことができました」 「正解は1つでないという前提、多様な意見を受け入れる環境づくりによって『こういわなくてはいけない』といった優等生的な模範解答が求められてしまう研修に留まらなかった」 こうしたコメントの前提には、研修とは「教える側」と「教わる側」が固定されているもの、教え