昭和天皇や東大の教授は、こんなクソなもん日本人に人気が出るわけがないと思って 最初の20年くらいは、そんな官僚が書いたしち難しい規定どうでもいいから活気出して いきましょうよ、裁判所や役所はちゃんと市民のことを考え、具体的妥当性に配慮して仕事 してますから安心して勉強して働いてくださいよなどと愛があったから、今みたいな廃墟みたいな 公立学校も信頼されていたし、公教育もあったし、裁判所や役所を利用する人もいた 昭和40年以降、段々社会が高齢化してきて、そろそろ契約書や法律をきちんと使って安全に行きましょう ということで、最初の20年みたいな狂った法サービスはなくなり、20年経って日本にも法治国家が浸透したとみられて 以後10年くらい、契約書や法律を丁寧に用いる安定期に入り、その頃は内容があった このような経緯を経て、当時のような法解釈が形成されたわけで当然、入ったときに愛情や正義など権力者に
きのう何食べたのドラマはじめて見た 実写化というとイメージ合わないテンポ遅いであんまり、って感じだったけど 普通に面白い あとケンジの女々しい男の男泣き、にグッときた 全力で泣いてる!って感じ、見てて 自分の中にたまった感情もつられて出てくる気がする
大前提:クチャラーなどと違い箸の持ち方が違うからといって誰かに迷惑をかけるものではない。他の人の権利と衝突しない個人の自己決定権の範囲。 じゃあなんで、箸を「正しく」持たないといけないという規範があるのか。 育ちが分かるから、って多いけど、それは箸を使う文化圏出身でない両親のもとで育った家庭の人にもそれを言うん?多様なアイデンティティを尊重するんじゃないの?それって差別じゃない? (もちろんそういう人は過剰適応して、綺麗に習得する人も多いと思う) 付き合う人間の幅が狭まるって言う人いる。 でも、単純に考えて、箸の持ち方を気にする人より、気にしない人の方が多くの人と付き合えるよね。 他人のお箸の持ち方を気にして付き合う人間の幅を狭めているのはあなたなのでは。 今の箸の持ち方はある程度合理的だし、ツールの使い方を教えると言う点で学校教育で教えるのは賛成できる。 でも、そこにお箸の持ち方で人間を
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