左衛門 @saekisaeko 10歳(小4)6歳(保育園年長)3歳(令和2年7月生)男子三兄弟の母です。限界書店員。育児5割、読書5割。今年から児童書担当になりました。柿もあるよ。読書好きの方、書店員さん、気軽に話しかけて下さい。見つけてくださってありがとうございます。 https://t.co/OrMNukXIZo
![読書好きの叔父の遺品整理をしたら、家は古書店が開けるほどの「本の山」本好きにはたまらないパラダイスだった](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2d626bc2313977d354de7f657e9f1b945770a9ba/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F1a79fcddd6f94a60bec1cb63161bb2a2-1200x630.png)
アメフト部に所属する16歳の高校生が、車の下敷きになった男性を救出した/courtesy Lora Clark (CNN) 米オハイオ州で、アメリカンフットボール部に所属する16歳の高校生が単身で車を持ち上げて、下敷きになった男性を救う出来事があった。 同州バトラーに住むローラ・クラークさんと息子のザックさん(16)は21日午後、自宅の庭の手入れをしていたところ、近所の女性の助けを求める声が聞こえた。 すぐに駆けつけてみると、女性の夫がフォルクスワーゲン・パサートの下敷きになり、身動きできなくなっていた。 ザックさんはこの時の男性の様子について、「ジャッキが壊れるか滑るかして、上半身が車の下敷きになったらしい」「自分に見えたのは男性の脚と、もがいている様子だけだった」とWJWに話している。 ローラさんは「車は男性の頭部を圧迫し、肋骨(ろっこつ)を押し潰していた」と振り返る。 ローラさんによ
Appleのクレカ「Apple Card」レビュー:「シンプル」「プライバシー」が裏目に2019.09.27 12:3037,317 Victoria Song - Gizmodo US [原文] ( 福田ミホ ) いちいち注目されるのも、わりと面倒と。 今年8月、米国でApple Cardのサービスが始まりました。チタン製のカードがAppleっぽくていいなとか、キャッシュバックが毎日もらえるらしいとか、プライバシーがとかいろいろあるんですが、実際どうなんでしょうか? 旅行、出張も含めて1カ月ほど使ってみた米GizmodoのVictoria Song記者がレビューしています。 友だちと食事をして、会計すべくApple Cardを取り出すと、それはカチャっという音を立てます。シルバーでトリミングされた真っ白なカードは、友だちの目を引きます。それは白いカードが珍しいということもあるし、カチャカ
アップルのデザインが手放しでもてはやされたのも今は昔…最近はイベントのたびに辛辣な声が大きくなっている気もします。2019年7月の、アップルデザイン統括ジョナサン・アイブ(ジョニー)退社のニュースは、その混沌たる現在の象徴のような言及も見かけました。そんな中、新型iPhone 11シリーズ発表では従来に増して拒否反応が目立ち、アップルへの不安に拍車をかける内容に。発売を迎えようやく、その声は多少落ち着きつつあるように見えます。 そんな今こそ、いちど俯瞰的に、ここ数年アップルがやってきたプロダクトデザインってなんだったんだろう?と振り返ってはと思います。他社に例を見ないほど戦略的にデザインされ、それを導いたジョニーの仕事とはなんだったのかが見えてきます。ちょっと、iPhone11への視線も変わるかもしれません。 意外に語られない、「スタイリング」のブランディングアップルデザインのマネジメント
それでも、1人で山に登るのが好きです 2年ほど前「ソロ登山のメリット」というタイトルで記事を書きました。 書いてから2年以上経った今でも、ありがたいことにわりと多くの人に読んでもらえている記事です。 実は、この記事を書いた当初から「メリットを書いたからにはデメリットについても書かなくては」とは思っていました。 1人で登ることは楽しいですが、それとは裏腹に1人で登ることのデメリットもまた多いのは事実です。メリットだけを強く訴えてそのままだと「一歩を踏み出すためのきっかけ」を作っただけになってしまい、本来「1人で登るべきではない人」の背中を押してしまうことにもなりかねないな……とは、書いた当初から感じていました。 そうは思いつつも、デメリットだけをまとめた記事はあまり楽しい内容にはなり得ない、ということもあってなかなか手を着けられず、ずいぶん時間が経ってしまったのですが……ようやくまとめること
1931年の満州事変後、中国東北部を占領し、満州国を建国した日本政府。「100万戸移住計画」を閣議決定、村に補助金を出すなどして積極的に推し進めた。結果、全国各地から800以上の開拓団、およそ27万人が入植した。しかし“開拓“とは名ばかりで、多くは中国人が開墾した土地を安い値段で立ち退かせていた。そして岐阜県・旧黒川村から渡った600人余りが暮らしたのが、満州国の首都・新京とハルビンの間にある陶頼昭だった。 しかし日本の敗戦間際、ソ連軍が満州に侵攻。敗走する関東軍に置き去りにされた開拓団は、ソ連兵や現地住民の略奪に遭った。 小学6年まで現地にいた安江菊美さん(85、当時7)の記憶に焼き付いているのは、当時の緊迫した状況だ。「終戦で国が無くなっちゃったから、守ってくれる人は一人もいませんよ。ましてや関東軍はみな逃げちゃってるから」。 戦況の悪化で、開拓団の働き手の男性は関東軍に根こそぎ召集さ
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