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き金嬉老に関するmujigeのブックマーク (5)

  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて

    2-2.姜尚中と「民族的自覚」 姜のこうした天皇制(的価値観)の肯定は、姜自身の在日朝鮮人としての「民族的自覚」の否定と対応している。 「かつて作為的に民族的自覚を「ねつ造」せざるをえなかった私は、どこかで「パトリへの情念」を押し殺し、そうすることで民族主義者に脱皮できると思ったことがあった。しかし、身体性を欠いた思想が虚ろなように、パトリなきナショナリズムも虚ろではかない。そこには「根拠地」が欠けているのだ。/確かにその欠落をより積極的な意味へと反転させる回路がないわけではない。ユダヤ的知性に見られるような「意識的パーリア」の道である。だが、私にはどうしてもそれがしっくりとはこなかった。なぜなら、私は余りにもパトリを愛していたからである。/こうして私は、民族を捨て去ることもできず、さりとて、民族から切り離された「パトリへの情念」を手放すこともできないまま、煩悶し、悶々とした日々を送ってい

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて
  • 日本人原理主義下等(5) - media debugger

    ※漢字(かんじ)の苦手(にがて)な人(ひと)は左(ひだり)メニューにある「かんじ→ひらがな」をクリックしてください。 ※If you want to read this blog in Roman, please choose "Japanese into Roman" from the left menu. 目次 「好ましい/好ましくない」外国人論としての日人原理主義 マスター・ナラティブへの欲望――保守とリベラルによる支配の相互補完―― 日人原理主義におけるレイシズムと「好意」の共存 外国人を監禁する同化の無限階段 生の極限にいる外国人にとって「反日上等」は迷惑なのか?――では<金嬉老>はどうすればよいのか?―― 「在特会」と「リベラル・左派」の敵対的な共犯関係を問う 外国人に対する「善意」はどこから来てどこへ行くのか? ニーメラー牧師の訴えは日人マジョリティに届くか? トラック

    日本人原理主義下等(5) - media debugger
    mujige
    mujige 2009/07/29
    “<金嬉老>は、在日朝鮮人であり、難民であり、もしもあなたが(私も)日本人でなかったら包摂されていたであろう、在日外国人の普遍的な可能性である。” 金嬉老事件は何一つ解決していない。日本人の宿題だ。
  • 『越境の時』を叱る - Arisanのノート

    越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/04/17メディア: 新書購入: 2人 クリック: 6回この商品を含むブログ (30件) を見る読んでるうちにだんだん腹が立ってきて、勢いで一気に読み終わった。 「たしかにすごいなあ」「見習いたいなあ」という思いと、「それは違うやろ」という思いとが、相半ばするである。 優れたところは、たぶん他の人が書いてると思うので、ぼくはもっぱら不満を書く。 書の眼目といえるのは、有名な金嬉老の事件と裁判闘争に深く関わった著者の体験をつづった第4章と第5章である。 事件の発生を知ったときの心境を、たとえば著者はこう書いている。 しかし私には、日人であるというだけで、私たちはいつ何時でも同じように「人質」にされうるのではないかと思われた。彼らはいわば私の身代わりである。(p152) そして、

    『越境の時』を叱る - Arisanのノート
  • くどいようだが、『越境の時』批判のまとめ - Arisanのノート

    t-hirosakaさんが、ベジタリアンについて書いたこちらのエントリーに触れて、ご自分の生活のことを書いておられた。なにかコメントを入れようとおもったが、自分がいしん坊だということもあり、書いてあることがあまりにも気の毒で、何も書きこめなかった。 さて、『越境の時』に書かれた著者鈴木道彦氏の、在日朝鮮人に関わる問題へのとり組みのあり方について、ぼくが不満をもつ点を、あらためてまとめてみる。 鈴木氏の問題の提示の仕方が、われわれ読者に無視できないショックをあたえるのは、在日朝鮮人という他者の眼差しのもとで自分をとらえようとしたことからくる、不安定さの感じのためだとおもう。現実の政治構造が作りだす、圧倒的な力の不均衡、非対称性のなかで、自分はどのように他人から見えているのか、他人にとってどんな存在なのか。安定した自己像を突き崩すようにあらわれてくる他者の存在への意識と、そこから生じる自分

    くどいようだが、『越境の時』批判のまとめ - Arisanのノート
  • ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。 - mujigeの資料庫

    記事番号:5284 (1998年11月15日 20時55分29秒) ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。 http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5284.html ○○さんは朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星打ち上げについて、次のように述べています。 #4999 >北朝鮮が打ち上げに関し事前通告しなかった事。 >宇宙ロケットの打ち上げについては、それを事前に国際機関に通告し、それを公表するのが >国際的なルールになっています。それにより予想飛行経路上の航空機や船舶等に対して警告を >発して、十分退避する時間を与えてから堂々と発射するのが国際社会の常識です。 >ルールは守るべきでしょう。私はそう思います。 まず宇宙条約(1967)についてみると、その第11条は宇宙探査に関する情報提供につい て次のように定めています。 「条約の当事国

    ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。 - mujigeの資料庫
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