タグ

じゅうようとさべつに関するmujigeのブックマーク (2)

  • 戦後責任ドットコム

    朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味― /外村 大 戦後歴史学における植民地問題の欠落 以上のような状況をふまえるならば、1950年代において、植民地支配の過程で生じた様々な問題を歴史研究者が取上げ、研究として発表していく作業は極 めて重要な意味を持っていたと考えられる。しかし、この時期、日歴史学者においては、自国の行った植民地支配の問題についての認識は希薄であった。こ の点は、植民地支配や天皇制を下支えする役割を果たした戦前の研究について反省した上で新たな研究を展開しようとしていた戦後歴史学の潮流に位置する者も 例外ではなかった。 と言っても、朝鮮人が労務動員のために被害をこうむった事実を意図的に隠蔽したり、無視したりする研究動向が存在したというわけではない。そうした事実 は、戦後、日人によって新しく書かれた朝鮮史や日近現代史の著作にも盛込まれていた。だが、論述のなされ

    mujige
    mujige 2009/06/29
    『朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味― 外村 大』 なぜ朝鮮総聯主流派は朴慶植の強制連行研究を抑圧したのか。そこには日本の排外主義に向き合う二つの選択の対立があった。
  • memo090622 - lmnopqrstuの日記

    メモ | 14:25 | ※23日お昼頃文末に追記しました。  抗議のための座り込みに対する南部諸州当局の抑圧は、それが社会に対して実害を与えたとか実害を与えそうだとかいった事実にもとづいてではなくて、要するに、白人と黒人とは分離して坐わるのに決まっているという地方慣行があって、座り込みはその慣行に違反している、そのゆえに取り締まられるべきだという伝統思考にもとづくものであった。――――奥平康弘『「表現の自由」を求めて』(1999)241頁  外国人の権利がなぜクリティカルになるかといえば、外国人の権利が権利の限界にあるからだろう。以前「バックドロップ・クルディスタン」(http://www.back-drop-kurdistan.com/)をみたとき、何が面白かったかというと、日語の意味が通じる限界で同時に権利の限界が問題になっていたからだった。「日語の意味の通じる限界」というのはこ

    mujige
    mujige 2009/06/23
    表現規制反対論者たちの語る「表現の自由」なる決まり文句の、なんと薄っぺらいことか。
  • 1