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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu (3)

  • 2009-04-27 - lmnopqrstuの日記

    社会 | 20:17 テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』(93年)と村山談話(95年)*1は同時代の事象だ。当時すでに村山談話を支持しつつ北朝鮮を嘲笑しえた主体であれば、いまや恐怖の対象にもなった(らしい)北朝鮮を嘲笑/罵倒しなお村山談話を支持するという芸当も確かに可能だ。村山談話を支持しつつ同時に北朝鮮(笑/恐)に迎合する日人は、村山談話を右から拒絶しつつ北朝鮮(笑/恐)に迎合する日人を気で批判できると思っているのだろうか。 村山談話は日北朝鮮化していることを示す(言論の)抑圧*2ではない。むしろ村山談話が抑圧として何ら機能していないことが(村山談話以降)ますます明らかになっているのである。だいたい(北朝鮮による拉致の事実の承認どころか村山談話以前に発生し村山談話以降肥大化している)北朝鮮への侮蔑をもし村山談話が多少なりとも抑圧することに成功していれば、北朝鮮観において左派から極

    mujige
    mujige 2009/04/27
    植民地主義を克服しない限り、日本人は朝鮮を対等な存在として見ることができない。つまり「北朝鮮」は理解不能な怪物であり続ける。そして「一国平和主義」は永久に掘り崩され続けるだろう。
  • 2009-04-18 - lmnopqrstuの日記

    メモ | 14:08 梶村秀樹「解放後の在日朝鮮人運動」194‐5頁(梶村秀樹著作集第6巻)。 1953年までの総力をあげての闘争があり、それが成果をあげる事もなく、犠牲者だけを残して終っていったのですが、その中で重ねてきた様々の無理に対する収拾策、そして出直し策が、この朝鮮戦争終了後のしんどい課題としてたちあらわれざるをえなかった。実際53年以降はその課題が取り組まれていく事になるわけですが、その場合、1953年は、朝鮮国における南北の分断の固定化であったと同時に、もうひとつ、在日朝鮮人運動と国との関係の実際的な意味での分断が固定化した時でもあった、という事に注意しておくべきかと思います。 非合法もふくめての国のとくに南の運動との連絡体制がまったく困難になる。また、一方、かえりみれば、解放直後には国の人々と在日の人々の生活、感覚上の違いがそんなに大きくはなかったのが、この時期から

    mujige
    mujige 2009/04/19
    日本人の「まなざし」を拒否することで、はじめて朝鮮人は「人間」たりうる。朝鮮総聯の運動は、まさに「日本人との訣別」を志向したものだったのではないか。その経験はあらためて評価しなおす必要があると思う。
  • Arisan氏への質問――あるいは自己決定権の誤読(=否認)について―― - lmnopqrstuの日記

    23:29 id:Arisan氏は「誤読したこと」において、氏が金光翔氏の「自己決定権」を誤読したと述べた上で、文末尾近くで次のように述べておられます(http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090326/p2)。*1 こうしたぼくの誤読は、「植民地主義的な」という批判を受けても、無論のこと仕方がないものである。/だがそれより何より、丁寧な読みが出来ずに誤った解釈をしたこと自体が、金さんに対して、悪かったと思う。/自己決定権を否定するなということ、自己決定権を有するものとして扱えということは、一人の人間としてごく当たり前の、基的な要求だ。/その要求を、ちゃんと聞き取ってあげられなかったことが、何より申し訳ない。  ここで氏は「その要求を、ちゃんと聞き取ってあげられなかったことが、何より申し訳ない」と述べておられますが、この点について一つ御伺い致します。いままで公開

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