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  • 小林勝「贍星〔せんせい〕(明治七十八年)」 博愛手帖 引用(16)

    それは日人にだって、善良な奴はいるだろうさ、と達城天池は思った、朝鮮人と親しくつきあっているのは大勢いるだろうさ。しかし、これだけは知っておくがいい。貴様らが支配者としておれの国にのりこんできた、その日から、鮮人という蔑称でよびすてた日から、貴様らは朝鮮人を理解できなくなったのだ。それはそういうものなのだ。どんなに善良な奴でも、どんなにあどけない子供でも、こと朝鮮人に関してはもう絶対に理解できなくなってしまっているのだ。それが支配者というものの運命なのだ。それが日人であり倭奴〔いのむ〕である貴様たちだ。義務徴兵を明治維新に比較し、下着〔パジ〕をもんぺになぞらえるのは、貴様らの勝手だ。そうした貴様らの恩恵の数々を耐えながら、おれたち朝鮮人は三十年をすごしてきたのだ。その三十年が朝鮮人すべてにとって、大人からいたいけない子供まで、どんなものなのか、貴様ら日人には絶対にわからないのだ。 小

    mujige
    mujige 2011/08/30
    “それは日本人にだって、善良な奴はいるだろうさ、と達城天池は思った、朝鮮人と親しくつきあっているのは大勢いるだろうさ。しかし、これだけは知っておくがいい。貴様らが支配者として…”
  • 博愛手帖 孤独なボルシェヴィキ

    わたしが全日学生自治会総連合、すなわち全学連の初代委員長・武井昭夫の名を始めて知ったのは、2007年の冬に雑誌『前夜』に載ったインタビュー「日映画にみる戦争・戦後責任と天皇制」を通じてであった。いわゆる「十五年戦争」に題材をとった映画のほとんどが被害者意識にまみれ、自国の侵略行為には言及しないという詐術的要素を持っていることを、何ら容赦なくバッサバッサと切り捨てる様を見た時には、「この爺さん何者?」と少なからず驚かされたものである(注1)。以来わたしは、近所の図書館などで彼のを何冊か探し、年代的にはまったく飛び飛びながら読んでみたのだが、そこで気づいた点がある。それは、彼の問題の立て方が「古典的マルクス主義者」のものであり、それが長い活動歴の中でも基的には変わっていないことである。ここで言う「古典的マルクス主義者」とは、ブルジョワとプロレタリアという「階級」の対立が現代世界に生じる

    mujige
    mujige 2009/12/20
    “飢えた野犬の如く民主党の投げた骨に群がる「リベラル」にも、指針を全く失って他人に自身の病的幻滅を伝染させることにだけに憂き身をやつす「新左翼」くずれにも、彼は全く同調しない。”
  • 博愛手帖 二つの岩波茂雄伝

    安倍能成『岩波茂雄傳』と小林勇『惜礫荘主人』はともに、岩波書店の創業者・岩波茂雄についての代表的伝記として知られている。内容的にはずいぶん重複している所があるが、文章としては後者のほうが読んでいて面白い。第一高等学校以来の友人だった安倍による伝記は、岩波の生誕から死去までの個人的・社会的事績がみっちり書いてあるものの、それだけにしばしば冗長な部分がある。一方、店番から頭角を現して岩波の娘婿となり、最後は会長にまで出世する小林の記述は、彼が入社した1920年以降の時期に限られるが、描写は簡潔でより生き生きしているように思われる(注1)。 小林特有の話題としては、「唯一の取引銀行である第一銀行に五万余円の預金しかなく借金は三十一万余円」(1929年)、「負債十万に達し株式会社に改組するという流言が飛んだ」(1935年)といった経営状況の推移に関する回想が目につく。また、初期の岩波書店にあった昔

    mujige
    mujige 2009/11/12
  • 博愛手帖 日本国民の選挙

    先の衆議院選挙は周知の結果に終わったが、これほど「何が起こるかわからない」感がない選挙もかつてなかったのではあるまいか。実際、この選挙の何が面白かったのだろう? 自民党の「大物」どもの相次ぐ落選か? 「我々」は、自分で勝ち取ったわけでもない成果に欣喜雀躍することはない。彼らの敗北は「あらかじめ」決定されていたではないか。一昔前の野球における、リーグ優勝決定後から日シリーズ開始までの間の消化日程に過ぎなかったのではないか。 これに比べると敗戦後しばらく、すなわち自民党と社会党の棲み分けが確立する「55年体制」の成立以前の選挙というのは、色々調べると面白いものがある。戦犯容疑者や翼賛議員の生き残りどもに、敗戦まで投獄や拷問や処刑の対象だった人々が、表舞台で真っ向からぶつかり合う機会を得たことは実に新鮮だったようで、「民主化」の高揚に伴い勃発した奇妙な事件の数々も、様々な人々によって記録されて

    mujige
    mujige 2009/11/12
    “言葉の真の意味での「自由選挙」とは、抑圧されていた(いる)人々の爆発する無体さをも少なからず帯びたものなのだろう。” 羽仁五郎の選挙の回想は痛快。しかし、荒畑寒村にしてこのていたらくか。
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