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ブックマーク / pledgecrew.hatenadiary.org (2)

  • lmnopqrstu氏への回答 - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090403/p1 へのブコメに関連した http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090405/1238904940 への応答 現在のブコメは下 ↑↓「少数者」を理念化しすぎでは。それは「感情移入」に過ぎぬのでは。「少数者」は顔のない集団ではないよ。「多数者」vs「少数者」の図式だけに頼るのはその中の個を見ぬのと同じ。観念的でナイーブなのはだれ? 以下、論 最初のブコメで「あっち」と書いたのは基的には字数の問題です。ただし「あちら」と書くべきであったかとは思います。その点の非礼についてはお詫びします。なお、最初のブコメを書き換えたのは、単にメタブコメをつけるのが面倒だったことと、書き換えた内容の方が、あとで見たあのArisanの記事へのブコメ全体の感じから見て適していると思っただけです。消したの

    lmnopqrstu氏への回答 - 遠方からの手紙(別館)
  • 民族性と民族主義は別の問題(一部修正・追記) - 遠方からの手紙(別館)

    「民族性」というものは、その自覚の有無にかかわらず、おそらく数千年だか数万年だか前から存在する。しかし、「民族主義」はそのような「民族性」の自覚の上に成り立ったものであり、たかだか100年から200年の歴史しかない近代の問題だ。なので、この二つの問題は明確に区別しなければならない(ここまでは当たり前の話)。 実際の話、「民族性」そのものは、誰にも否定できるものではない。たとえ様々な民族の間に生まれ育った場合であっても、いかなる「民族性」も持たない人間は存在しないし、人が母語として話す言葉はすべてどこかの民族語であり、誰もがどこかの民族的文化の中で育つのだから(例外はむろんある)。もっとも、そういう民族性も永遠に不変なわけではない。 ただ、そのことと「民族主義」の問題ははっきりと区別すべきだ。「民族性」を肯定することは、それ自体「民族主義」を肯定することではないし、「民族主義」を批判ないし否

    民族性と民族主義は別の問題(一部修正・追記) - 遠方からの手紙(別館)
    mujige
    mujige 2009/04/05
    坂中英徳の路線のような…。文化的には日本の“民族性”を持ちながら朝鮮民族を自認する在日朝鮮人ってわりといると思うが、民族性と民族主義を切り離すのは、こういう人たちにとってはツライ話だと思います。
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