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もの語りに関するmukunokiy0725のブックマーク (70)

  • 最高の小説!/青沼静哉『モルトモルテ』 - 未来の蛮族

    早稲田文学6 特装版 作者: 青沼静哉,仙田学,間宮緑,多和田葉子,オルガ・トカルチュク,ニコール・クラウス,ドン・デリーロ,千野帽子,朝吹真理子,雪舟えま,松田青子,青木淳悟,福嶋亮大,黒田夏子出版社/メーカー: 早稲田文学会発売日: 2013/09/06メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (11件) を見る雨や風が強く吹き荒れる日には、家に引きこもってを読んでいるのが一番いい。薄暗い部屋の中で、雨粒が窓を打つ音を聴きながらページをめくるのは、最高に心地よく、どれだけ遠くの街にでかけたってこれほど充実した時間を過ごすことはできないように思う。この間の台風のときは、ちょうど連休の中日だったので、来る嵐への備えを万全にすることができた。土曜には屋に行き、普段なら読まないだろう、というもいくつか買っておいた。一歩も外に出なくてもいいように、豚肉と海老を冷蔵庫に放り込ん

    最高の小説!/青沼静哉『モルトモルテ』 - 未来の蛮族
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    mukunokiy0725 2013/10/03
    数時間前新宿ベルクで早稲田文学のフリーペーパーが置いてあるのを眺めていた
  • 「ごん狐」は死を覚悟して村人の家に行った 今、明かされる児童文学史上の大きな謎 | JBpress (ジェイビープレス)

    作者は、昭和初期に活躍した童話作家・新美南吉。 物語は、南吉が村の茂平(もへい)というおじいさんから聞いた話とされる。 いたずら好きの小狐「ごん」は、村に住む兵十(ひょうじゅう)という男が捕ったウナギを逃がす。 その後、兵十の母が亡くなる。兵十は、どうやら病気の母にウナギをべさせるつもりだったらしい。 ごんは後悔して、兵十の家にひそかにべ物を持っていく。しかし兵十にごんの意図は通じず、かえって迷惑をかけたり、神様のおかげだと思われたりする。 しまいにごんは、栗を持って兵十の家に入ったところ、兵十に「またいたずらをしに来た」と思われて撃たれる。倒れたごんに近づく兵十は、土間に置かれた栗を見て、すべてを悟る。 なんとも悲しい話である。 しかし、『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新美南吉の小さな世界』を著した作家・編集者の畑中章宏さんは、今あらためて「ごん狐」をはじめ、新美南吉の諸作品を読み返

    「ごん狐」は死を覚悟して村人の家に行った 今、明かされる児童文学史上の大きな謎 | JBpress (ジェイビープレス)
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2013/09/30
    新美南吉さんが愛知の人だとは知っていたが半田だったか。ミツカンの本拠地……子どもらが幼稚園でもらってきた『かにのしょうばい』の絵本、俺も好きで寝るときよく読んでた。
  • 朝日新聞デジタル:中也「在りし日の歌」にチェーホフの影 友への書簡発見 - カルチャー

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    郷里の天才詩人。北千束に住んでいたことがあるんだよな。この手紙はお子さんが亡くなって不安定になる頃のものか。
  • 朝日新聞デジタル:小泉八雲、孤独だった? 友人への手紙に「寂しい」 - 社会

    バーバラ・イーウェル教授(右)から寄贈された手紙を読む小泉凡さん(左)=松江市末次町  【藤田絢子】ヘルンさん、実は松江で孤独だった?―― 小泉八雲が、松江から友人の米国人に宛てた手紙の複写が20日、市に寄贈された。「寂しい」という言葉もつづられており、ひ孫の小泉凡さんは「音を吐露した珍しい手紙」と話している。  寄贈したのは、八雲が10年間滞在した米ニューオーリンズ市にあるロヨラ大学のバーバラ・イーウェル教授(文学)。大学図書館に保管されている八雲の手紙のコピー7通を、記念館(奥谷町)の顧問を務める凡さんらに手渡した。  そのうち1通は1891年6月14日に松江で書かれたもの。日人のがいて、「東洋化され英語を話す国にはもう行かないかもしれない」「西洋の思想を失ってしまった」と、日の生活になじんだことを伝えている。 続きを読む関連リンク中也「在りし日の歌」にチェーホフの影 友への書

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    彼の最期の地、大久保にある小泉八雲記念公園は好きな場所。
  • 朝日新聞デジタル:「旅はつらい」山頭火、友に手紙 全集未収蔵9点、公開 - カルチャー

    1930年9月17日消印のはがき。「寝ころべば 露草だった」の句につづき、「いづれ行乞記を書きます」と書かれている=熊近代文学館提供1930年9月10日消印のはがき。友枝寥平氏へ「私もどうやら旅人らしい気分になりました」と述べている。中段で「大空の下を行く 何処へ行く」と一句詠んでいる=熊近代文学館提供種田山頭火(左)と親友の友枝寥平氏=熊近代文学館提供  【日高奈緒】放浪の俳人、種田山頭火(1882〜1940)が親友に宛てたはがきを、熊市在住の親友の子孫が、熊近代文学館(熊市中央区)に寄贈した。同館によると「山頭火全集」にも収蔵されておらず、研究者の間でも知られていなかったという。14日から同館で公開される。  はがきは計9枚。山頭火が九州を巡った旅の途中で、熊市の友枝寥平(りょうへい)氏に宛てている。「何といっても行乞(ぎょうこつ)ハ辛(つら)い」と旅の苦労をぼやいている

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    尾崎放哉の手紙がもっと勝手な事ばっか言ってて面白いんだが、これも本音言ってるっぽくて良い。
  • 朝日新聞デジタル:司馬と池波、先達への敬意 子母沢寛あて礼状見つかる - カルチャー

    池波正太郎からの手紙は末尾の日付が「十六夜(いざよい)」と入っていた=金川雄策撮影作家の司馬遼太郎作家の池波正太郎作家の子母沢寛  【中村真理子】作家、子母沢寛(しもざわかん=1892〜1968)にあてた、司馬遼太郎(1923〜96)、池波正太郎(1923〜90)の手紙が見つかった。子母沢は手紙のほとんどを処分していたが、くずかごから遺族が取り出し、保管していた。いずれも子母沢から資料を譲られたことへの礼状で、当時の作家たちの温かな交流が伝わってくる。  司馬からの手紙は2通残されていた。64年の手紙は「『薩摩びわと児玉天南』の切りぬきを頂戴(ちょうだい)いたし、うれしさ、感激でいっぱいであります」とあり、「読みながら琵琶の音まできこえてくるような思いでございました」と続く。  67年、子母沢を訪ねた後の司馬の礼状は、「家内から、『奥さまには蘭(らん)をもってゆけ』といわれておりましたので

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    これはいいなぁ。子母沢寛さんの最晩年、鵠沼におられた頃の手紙かな?
  • ふくおか情報発信局セサミ

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    mukunokiy0725 2013/02/26
    『玄界灘を越えて 青井戸』 http://ebookreviewsjp.blogspot.jp/2013/02/kinoppy-for-ios-140.html に登場する神屋宗湛の茶室あと。写真が残っている> https://www.facebook.com/photo.php?pid=810191&l=3ed961fb47&id=100001776827942
  • 『玄界灘を越えて 青井戸』吉松ひろむ

    作:吉松ひろむ 日のわび茶の王座を占める国宝、喜左ェ門井戸は朝鮮渡来のわび茶碗。村田珠光はそれまでの遊びの書院茶道から草庵わび茶を以って求道の茶道を創始、その弟子の武野紹鴎がわび茶の道具として井戸茶碗を発見した。無事で、無造作な、平常の美に、侘びがある。その美意識によるわび茶碗は戦国武将の精神のよりどころになった。 五十年ほど前、喜左ェ門井戸茶碗を見た著者は、これは朝鮮の民衆が日常に使用した器ではないと直感する。日の美術家や評論家が井戸をはじめ、渡来した高麗茶碗を朝鮮民衆が使った雑器とした説に大きな疑問を持っていた著者が、井戸茶碗のルーツに挑み、大胆な謎解きを小説として描いた。 九州電書コレクションのお勧め作品 価格:525円(税込) 購入は下記の電書ストアから >> BookLive! Reader™ Store|ソニー 紀伊國屋BookWeb ブックパス|au by KDDI Bo

    『玄界灘を越えて 青井戸』吉松ひろむ
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    mukunokiy0725 2013/02/19
    紀伊国屋BookWeb で電子書籍で購入。まだ読んでいなかった。
  • なぜ文学に縁がなくてもナボコフの文学講義を読むべきか?大事なことだから3回言う

    忙しい読者のために今日の記事を要約すれば 「ナボコフの文学講義が文庫になった。すばらしいだから、とにかく読め」 である。 しかしこれだけでは何も伝わらない自信がある。 これだけでうなずいてくれる人はそもそも、ナボコフの文学講義が文庫になったことなど、読書猿に言われるまでもなくご存知だろう。 というか、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義 』も『ロシア文学講義』も『ナボコフのドン・キホーテ講義』も、とっくの昔に読んでいるだろう。 だからオススメする相手は、別の人たちである。 そんな訳で、いくつかのバージョンを書いてみた。それぞれは独立して読めるはずである。 成功している気がしないのは仕方がないが、それでも「こんながあるなんて、どうしてもっと早く教えてくれないんだ」という批判は回避できると思う。 ちゃんと言ったからな。 ※『ナボコフの文学講義 上/下』(河出文庫)は、『ヨーロッパ文学講義』(ティ

    なぜ文学に縁がなくてもナボコフの文学講義を読むべきか?大事なことだから3回言う
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    mukunokiy0725 2013/02/14
    分かった。読む。
  • トークイベント「著者の磨き方」大原ケイ✕佐渡島庸平

    ※この記事は1月12日、東京・下北沢にある書店「B&B」で行われたイベント「出版関係者必聴!『著者の磨き方』」のレポートです。 [司会:酒泉ふみ(ボイジャー)、構成:高山みのり(ボイジャー )] ――最初にゲストのお二人をご紹介します。まずはニューヨークと東京を往復する文芸エージェントで、ブログ「とマンハッタン」でも知られる大原ケイ(写真右)さん。そして、講談社で『バガボンド』『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』などの人気作品を手がけ、昨年に作家のエージェント会社であるコルクを設立した佐渡島庸平さん(写真左)です。 大原さん、年末に帰国されて、日はいかがですか。 大原 ニューヨークより寒いです(笑)。 ――佐渡島さん、コルクを創業して4ヵ月が経ちましたね。まず創業の経緯をお話いただけますか? 佐渡島 コルクは三枝亮介という講談社の先輩と一緒に立ち上げました。僕が主にマンガの担当で、三

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    mukunokiy0725 2013/01/29
    翻訳の可能性は以前から感じてる。というかそれがないと面白くないというか。
  • 東京都大田区町歩き「?」

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    mukunokiy0725 2012/12/26
    寄贈前の書き込みならばまぁ……馬込図書館は毎日のように前を通るが一度半日ぐらい居ってみようかな
  • 東京都大田区町歩き「?」

    n-kensaku 東京都大田区を歩いていて、?と思ったことをアップ。日付は割り振ったもので、撮影した日やアップした日ではありません。

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    mukunokiy0725 2012/12/23
    セルゲイ・プロコフィエフ、ソビエト連邦時代の作曲家、ピアニスト。滞在した望翠楼は闇坂下から山王保育園の方に上がってきた辺りにあったのかな。
  • 息長川(おきなががわ)ノート by 椋 康雄 マチともの語り-地域・物語り・短編小説

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    mukunokiy0725 2012/08/22
    自己言及のため
  • 締めくくりの希望 - 息長川(おきなががわ)ノート by 椋 康雄 マチともの語り-地域・物語り・短編小説

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    mukunokiy0725 2012/02/02
    終章をリリース。何箇所か、言及した場所に実際に行って取材したら改稿に入ろうと思う。今年中にできるかどうか。
  • 『猫間川をさがせ』椋康雄

    作:椋康雄 商業の中心地として栄えた近世の大阪はまちに堀川が巡らされ運送路として利用されていた。近代都市化のなかでそれら堀川には埋め立てられて姿を消したものも多い。西横堀川、長堀川、蜆川、鯰江川……。それら埋められた川のなかで唯一、自然河川でありながら現在完全に埋め立てられて姿を消した川がある。その名は「間川(ねこまがわ)」。 大阪に住む人たちからもほとんど忘れ去られようとしている間川を記録と記憶の両面から残しておきたい。そういう思いをかたちにすべく、文芸サイト「マチともの語り」に場所を得て執筆したのが書だ。 かつて間川を水運に利用しながら今は忘却している大阪、逆にマチの片隅にでも残そうとする大阪。 著者はそれぞれのまちの姿も考察しながら書き進め、大阪在野の史家・中九兵衛氏の「大和川叢書」の考えに共鳴していく。 価格:500円(税込) 購入は下記の電書ストアから >> BookLi

    『猫間川をさがせ』椋康雄
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    mukunokiy0725 2012/01/14
    TIAOBOOKS、ダイナミックビュー形式での自著紹介ページです
  • 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記 - 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

    日(2011.11.7)からブログをはじめました。 よろしくお願いします。 海○○人さま、初めまして、わたくしは大分県由布市湯布院町に住む秋永祥治(あきながしょうじ)と申します。S23年福岡県久留米市篠山町生まれの62歳です。父・祖父等の実家は福岡県浮羽郡田主丸町以真恵という所で農家でした。久留米地域には秋永の姓は数が少なく学校でも珍しがられていました。父はH2年に亡くなりましたが、生前秋永家の由来を訊ねたことがあります。海軍将校だった父も青年のころ興味を抱いたらしく、菩提寺の過去帳等でいろいろ調べたところ、詳しいことは解らなかったが、『以前は柳川?の藩士であったが、お家騒動で脱藩して田主丸で農民として住むことになった。と想われる。』由。一緒に脱藩時、他の秋永姓のものは、大分県の耶馬溪の方に逃げたらしい。と父から聴いていました。それ以前のことは不明でした。 九州では秋永の姓は、福岡県は田

    「息長氏は秋永氏である。」の顛末記 - 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2011/12/26
    私研究だが面白そう。短期間に量ある文章が発表されている。これから読み始めよう。
  • 並河誠所の呪縛 - 息長川(おきなががわ)ノート by 椋 康雄 マチともの語り-地域・物語り・短編小説

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    mukunokiy0725 2011/12/21
    次章リリースしました
  • 猫間川に内川を重ねあわせて読んだ

    椋氏( @Mukunokiy )の 「間川をさがせ」を読んだ。Amazonで売ってないなぁと思ったら、これもともと電子ブックだったのね。 大阪の地理についてはまったく頭に入っていないので、いろいろな地名や交差点の名前など、位置関係がぜんぜん思い浮かばないままに読んで、あとでGoogle Mapを見たりした。かろうじて行ったことのある場所は「鶴橋」くらい。それでも街の中に暗渠となってすっかり人々の記憶から消えてしまった「間川」に、うちの近くを流れていた「内川」を重ねあわせながら読んだ。 わたしたちが子供だった1970年代、川はドブだった。わたしの父の世代、昭和初期を過ごした人たちは、きれいなせせらぎだった川がドブへと変貌していくのを目の当たりにしている。でも、わたしの世代にとっては、川は最初から汚くて臭いドブだった。内川も呑川も、多摩川でさえドブだったので、川というのは生活上はなるべく近

    猫間川に内川を重ねあわせて読んだ
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    mukunokiy0725 2011/11/28
    感想頂き感謝。馬込の内川は流路が残っていて、跡を歩くことがよくある。次に書きたいと思っている。 / via. @oioaoi
  • NHK NEWS WEB 北杜夫氏と昆虫と私

    「楡家の人びと」などの純文学から、ユーモアあふれるエッセーの「どくとるマンボウ」シリーズまで、幅広いジャンルで80歳を過ぎても旺盛な執筆活動を続けた作家の北杜夫さん。 24日、84歳で亡くなりました。 北杜夫さんは、実は文学界きっての昆虫好きとしても知られています。 生前の北杜夫さんに取材した、科学文化部随一の昆虫好きの斎藤基樹記者が、知られざる北杜夫さんの一面をお伝えします。 北杜夫さんとの出会い 私(斎藤)は、3年前、栃木県日光市で開かれた、北杜夫さんが集めた昆虫を一堂に集めた初の「どくとるマンボウ昆虫展」を取材した際、北さんにインタビューを申し込みました。 北さんは、このころ体調を崩してテレビの取材はほとんど受けていませんでしたが、私自身、子どものころから昆虫が大好きで、北さんが集めた虫の標が残されていることを知って、「昆虫への思いを聞かせて欲しい」と手紙を出したところ、快

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    mukunokiy0725 2011/10/27
    読んでてどくとるマンボウシリーズの色んな下りを思い出す
  • 女子学生と霊明神社に行き、名古屋で並河誠所とあそぶ - 歴史と地理な日々(新版)

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    mukunokiy0725 2011/09/27
    並河が考証の深浅に関わらず建碑・建墓しているのは知られたことなのね