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2013年9月15日のブックマーク (7件)

  • 吉田カバンの修理 - 椋箚記

    勤務先への行き来に吉田カバンを使っていることは今までも何度か書いてきた。今改めて確認したら2005年の1月に伊丹のダイヤモンドシティ(現在のイオンモール)に入っている SAC'S BAR という鞄店で買っている PORTER で、消防車のホースと同じ生地を使っていると聞いて買ったものだ。恐らく生地の話は間違いないようでへこたれず7年半私に使われていることになる。ただ、数ヶ月前にファスナーのひとつが壊れて途中までしか開けられなくなっていた。 吉田カバンなら多分直営店だのに持ち込めば修理してくれるだろうと思っていた。実際お台場のショッピングモールに入っている「クラチカ」という直営店で肩掛けの部分のゴムの換えを発注したことがある。 それを先延ばしにしていたところ、テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組で吉田カバンが取り上げられてしまった。「しまった」というのは番組の中で修理の様子も報じられてい

    吉田カバンの修理 - 椋箚記
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    mukunokiy0725 2013/09/15
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  • 朝日新聞デジタル:中也「在りし日の歌」にチェーホフの影 友への書簡発見 - カルチャー

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    郷里の天才詩人。北千束に住んでいたことがあるんだよな。この手紙はお子さんが亡くなって不安定になる頃のものか。
  • 朝日新聞デジタル:小泉八雲、孤独だった? 友人への手紙に「寂しい」 - 社会

    バーバラ・イーウェル教授(右)から寄贈された手紙を読む小泉凡さん(左)=松江市末次町  【藤田絢子】ヘルンさん、実は松江で孤独だった?―― 小泉八雲が、松江から友人の米国人に宛てた手紙の複写が20日、市に寄贈された。「寂しい」という言葉もつづられており、ひ孫の小泉凡さんは「音を吐露した珍しい手紙」と話している。  寄贈したのは、八雲が10年間滞在した米ニューオーリンズ市にあるロヨラ大学のバーバラ・イーウェル教授(文学)。大学図書館に保管されている八雲の手紙のコピー7通を、記念館(奥谷町)の顧問を務める凡さんらに手渡した。  そのうち1通は1891年6月14日に松江で書かれたもの。日人のがいて、「東洋化され英語を話す国にはもう行かないかもしれない」「西洋の思想を失ってしまった」と、日の生活になじんだことを伝えている。 続きを読む関連リンク中也「在りし日の歌」にチェーホフの影 友への書

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    彼の最期の地、大久保にある小泉八雲記念公園は好きな場所。
  • 朝日新聞デジタル:「旅はつらい」山頭火、友に手紙 全集未収蔵9点、公開 - カルチャー

    1930年9月17日消印のはがき。「寝ころべば 露草だった」の句につづき、「いづれ行乞記を書きます」と書かれている=熊近代文学館提供1930年9月10日消印のはがき。友枝寥平氏へ「私もどうやら旅人らしい気分になりました」と述べている。中段で「大空の下を行く 何処へ行く」と一句詠んでいる=熊近代文学館提供種田山頭火(左)と親友の友枝寥平氏=熊近代文学館提供  【日高奈緒】放浪の俳人、種田山頭火(1882〜1940)が親友に宛てたはがきを、熊市在住の親友の子孫が、熊近代文学館(熊市中央区)に寄贈した。同館によると「山頭火全集」にも収蔵されておらず、研究者の間でも知られていなかったという。14日から同館で公開される。  はがきは計9枚。山頭火が九州を巡った旅の途中で、熊市の友枝寥平(りょうへい)氏に宛てている。「何といっても行乞(ぎょうこつ)ハ辛(つら)い」と旅の苦労をぼやいている

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    尾崎放哉の手紙がもっと勝手な事ばっか言ってて面白いんだが、これも本音言ってるっぽくて良い。
  • 朝日新聞デジタル:司馬と池波、先達への敬意 子母沢寛あて礼状見つかる - カルチャー

    池波正太郎からの手紙は末尾の日付が「十六夜(いざよい)」と入っていた=金川雄策撮影作家の司馬遼太郎作家の池波正太郎作家の子母沢寛  【中村真理子】作家、子母沢寛(しもざわかん=1892〜1968)にあてた、司馬遼太郎(1923〜96)、池波正太郎(1923〜90)の手紙が見つかった。子母沢は手紙のほとんどを処分していたが、くずかごから遺族が取り出し、保管していた。いずれも子母沢から資料を譲られたことへの礼状で、当時の作家たちの温かな交流が伝わってくる。  司馬からの手紙は2通残されていた。64年の手紙は「『薩摩びわと児玉天南』の切りぬきを頂戴(ちょうだい)いたし、うれしさ、感激でいっぱいであります」とあり、「読みながら琵琶の音まできこえてくるような思いでございました」と続く。  67年、子母沢を訪ねた後の司馬の礼状は、「家内から、『奥さまには蘭(らん)をもってゆけ』といわれておりましたので

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2013/09/15
    これはいいなぁ。子母沢寛さんの最晩年、鵠沼におられた頃の手紙かな?
  • 天理市やばいぜ!日本唯一の宗教都市にある巨大な宗教建築の数々を見た

    奈良県です。奈良市よりももうちょい南に存在する『天理市』に行ってきました。 『天理』と言うと野球やラーメンやなんかで聞いたこともあるかもしれません。そしてもちろんみなさんご存知『天理教』の大営でもあります。 宗教の名前がそのまま都市の名前になるという、大変珍しい宗教都市なのでございます。 天理市の特徴的な町並み 天理駅から中心部目指して歩くわたくし。 商店街を歩いていると何やら法被を着ている人を見かけ始めます。その黒い法被には『天理教』と書かれていて、茶髪のにーちゃんからベビーカーを押す主婦、もちろん老人まで、まさに老若男女様々な人たちがそれを羽織っていました。 もちろん天理市民全員が天理教信者という訳ではありません。が、やはり『宗教都市』と呼ばれるだけあって、随所に天理教の影響が見られます。 天理市全体は古墳あり盆地ありの典型的奈良の町並みなのですが、天理教部を中心とした周囲の町並み

    天理市やばいぜ!日本唯一の宗教都市にある巨大な宗教建築の数々を見た
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2013/09/15
    そういや本部までは入った事がない。成人の日辺りの鏡開きでお雑煮振舞われるのでそれは子供の頃食べに行った。信者でなくても行けたと記憶している。
  • アタマジラミ:対処法は- 毎日jp(毎日新聞)

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    mukunokiy0725 2013/09/15
    うちは幸いにしてやられた事ないがちょくちょく耳にする。メモっとこう。