明治初期、小学生用の教科書「小学読本」を印刷するために作られた版木23枚が米子市内で見つかった。表紙の内容から、1874年(明治7年)頃に鳥取市の書店「龍淵堂」が県内で初めて印刷した教科書の版木の可能性があるという。版木は拓本12枚とともに、米子市中町の市立山陰歴史館で7月6日に始まる企画展「すりもの 刷物」で公開される。 版木は、同歴史館が4年前に寄贈を受けた第3代米子市長の野坂寛治氏(1889~1965年)の資料の中に残っていた。1巻から5巻までの一部で、1枚の大きさは縦約25センチ、横約35センチ。版木は表と裏の両面に文章や絵が彫られ、表紙には「師範学校編輯(へんしゅう)」「明治七年八月改正」と刻まれていた。 「龍淵堂」は鳥取市若桜町の「横山書店」の前身。同市教委の「鳥取市教育百年史」によると、学制制定で教科書が必要になることに注目し、明治7年に出版許可を政府に申請。認められ、京都か