業績が低迷した産業は、学生にとって魅力的に映らず、優秀な人材は入っていかない。長引く不況の中で、工学生は斜陽産業との関連が深い“不況学科”を選ばなくなった。不人気学科はやむを得ず、学科名を変えて生き延びる。半面、日本に本来なくてはならない学問の火が1つまた1つと消えていく。 日本が連綿と守り続けてきた溶接工学の火も消えつつある。日経ビジネス誌8月18日号特集「さらば工学部 6・3・3・4年制を突き破れ」の連動インタビューシリーズの第5回では、溶接工学の総本山・大阪大学の異変に危機感を募らせる大阪大学接合科学研究所の野城清所長から、工学教育の現場の危機を聞いた。 野城清(のぎ・きよし)氏 大阪大学接合科学研究所長 1945年9月大阪府生まれ、62歳。73年に大阪大学大学院工学研究科冶金学専攻博士課程単位取得退学後、阪大工学部冶金学科助手に就任。90年に材料開発工学科助教授を経て、91年阪大溶
![「溶接の総本山・阪大の異変」 ~さらば工学部(5):日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)