石黒敬七『蚤の市』(大倉書房、昭和10年2月)によると、 昔、一高の数学の教授で、巴里に留学し、そのまゝ巴里美人と出来て、今では二人の児もあり、仏蘭西に帰化して、美術学校の横、ボナバルト通りは十二番地に、日本雑貨店を経営し、浮世絵、日本食料品、絵具材料、東洋骨董品等を売つてゐる側ら、東洋語学校の先生もしてゐる。在巴二十数年、今では二代目諏訪老人になりかゝらんとしてゐるが、いつ迄も先生気質が抜けず、商売下手である。(略) 或時、僕が、岡本一平氏の息太郎君と通りがゝりに此の宝の山へよつた事があるが、他にも二三人日本人がゐて、内藤氏が香水等を出して見せてゐると、太郎君が「この香水は何?ウビガンかい?」といつてきくと、内藤氏が「お前みたいな小僧が香水の事をきいて何にする?ソレ見ろ、まだ尻に黄色い卵の殻がついてゐるぢやないか」といつた。 この岡本太郎を小僧呼ばわりした内藤氏、内藤丈吉というが、ググる
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